恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

さよならだけが愛なんだ。

これを書いてる理由は簡単で、人に好かれることの気持ちよさと、本当に好きな人の好きな人で居られることの尊さを思ったので、雑記というか、お気持ち表明のような何か。とりあえず残しておきたいと思った。いやいつもお気持ち表明のようなものばかり書いているのだけど。

最近、未成年の男の子に懐かれた。好きだ好きだとまっすぐなところが可愛い。もちろんきちんと断っている。私には恋人がいるから。その旨も伝えているけれど、それでも好きでいたいのだと言った少年のひたむきさが若くて微笑ましかった。

恋愛は難しい。だって存在し得る恋のすべてが叶うわけではないから。

恋愛は難しい。だって不意にやってきて気づいたら落ちるものだから。

叶わないなら諦めようと思ってもうまく思い出にすることもできずに、恋心はずっと胸中にあるわけで。恋というものは好きだと思った瞬間には、もう手遅れなのかもしれない。心の形は難解だなと思う。もうどんな気持ちで自分の心と向き合えばいいのか。

ただ一つ救いがあるのは、叶わない恋であっても人を好きでいることは自由なのだという点かなと思う。どうしても忘れられなくて、でも好きでいることだけは許して。少女漫画にありそうなありきたりなフレーズだけれど、私はこの考え方が好きだ。だってどうしても忘れられない人、どうしても消えない面影。そんなの誰しも持っているものだろうし。

ただその気持ちにどれだけ折り合いをつけていくかが大切かな。たとえ片思いでも、自分の恋を否定せず、どう納得して手放していくかが重要なんだろう。ずっと気持ちを持ったまま生きていては、いつまでも囚われて先に進めなくなってしまうから。

私はそれが難しくて2年近く引きずった。恋も愛も捨てられなかったのだ。その間に付き合った人もいたが、すぐに別れた。だって彼の代わりになんてなれなかったから。ものすごく女々しい。納得するまで、気持ちの整理がつくまで、ただ勝手に好きで居させて。何度も祈った。本当はどうすべきかを自分で決めて、整理していく必要があったのに。居もしない神様に祈るのではなくて。

人は時に好きだと言う理由で相手に気持ちを押し付けたり、愛を貰えないことに腹を立てたり、相手を恨んだり執着してまうこともある生き物だ。でも本当はそうなる前に、気持ちを成仏させる必要があると私は思う。なぜならそれが一番醜くて、とにかく相手にとって怖いものに成り下がってしまうこともあるからだ。それに好きという気持ちにお返しがないからと言って恨んだり執着するのも、純粋に好きだからと言って気持ちの押し売りで相手を追い詰めるのも、もうそれは愛でなはい。呪いと一緒だ。

好きだったはずの相手を呪って苦しめることになるなら、執着だと気づいた時点、というより、気づく前かな。きちんと恋を恋のままで手放して終わらせてあげてほしいと思う。大事な感情を手放すには勇気がいるし辛いししんどいし苦しい。それでも相手の幸せを考えるのなら。笑っていてほしいと願うのなら。手放してあげてほしい。呪いに変わる前に。私はそうならずに済んだけど、それでも、一歩間違えばきっと私もそうなっていたかもしれない。私はならない、ではなくて、誰しもあり得ることだから、みんな誰しもが気を付けていく必要性がある。

この世の中は成就する恋だけが恋ではないし、むしろ成就してハッピーエンドなんてそれこそおとぎ話の中の出来事に近い。少しずつでも気持ちを手放して、叶わなかったけど好きでよかった!本気で人を好きになれた!そう思える恋ならば、十分に尊くて美しいと思う。それこそ価値のある感情で、素敵な恋だ。自分の中に愛があったこと、これだけが真実だ。そしてさよならだけがこの恋心に最後に与えられる愛なんだ。