恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

私はきっと男嫌いで、なのに男でしか埋められない穴がある。

私はきっと男が嫌いだ。それも小学生くらいのときから。

学生の時、女の子同士で喧嘩すると、必ずと言っていいほど男の子が介入して囃し立てていた。女で解決できない問題に、わざわざ「女はヒステリック」とか「女はこえー」とかって茶々を入れてくるのが嫌いだった。それで問題は解決されるどころか、余計複雑化していく。何もできないなら、外野は黙っていてほしいとすら思う。

そういう面倒な男は大抵、「男は殴り合って解決できる」とか「男はさばさばしている」とかいうのもただただうるさくて邪魔だった。普通に女でも殴り合いはするし、さばさばもしてる。限りなく冷静に、ドライでいることもできる。

そもそもの話さぁ、殴り合って仲直りとかしたことある?なかなかなくない?もう殴り合うほどの喧嘩って、相当な確執が生まれていると思う。たとえ殴り合っても仲直りするどころか犬猿の仲だ。今どきの半グレでもやらないと思う。

そういうとまた「男は根に持たない」とかねちねち反論してくるけど、君たち半沢直樹は見てた?

父を銀行に殺された男の執念。ねちねちとした足の引っ張り合い。それらをとにかくポップに面白くしたのが半沢直樹だ。半沢直樹ですら私は面白い反面、女よりよっぽどネチネチねちっててきもくて怖かったんですけど。そして現実でのねちねちは、あんなに面白味のある物にはなれない。

あと私を枠に嵌めてがちがちに型を取って閉じ込める男の人も嫌い。

他人を評価するその上から目線はあなた何様?少し怒ればヒステリック、甘いものが好きだと言えば女の子はこうでなくちゃ、ですって。あーあ。それならこちらも男ならこうでなくっちゃねってジャッジしてもいいですか?そうなったら怒るくせにね。

私を女の子Aとして扱う男の人も平面でしか女を愛せない男の人もそうだし、とにかく私は私を一人の人間として扱えない男の人が嫌い。

こうして言語化してみたら、ぞっとするほど嫌悪感が溢れている。

学生時代は表でも裏でも散々「男好き」とか「ぶりっ子」とか「ビッチ」って言われて叩かれてきたけど、私が男の人に近づく動機はとても不純で、そこに好意なんてほとんどなかった。むしろ好きじゃないからこそ、あそこまで思わせぶりな態度でいられたのだと思う。それもこれも、自分の価値や存在意味を確認するため。それ一択。

というか「男好き」とか「ぶりっ子」とか「ビッチ」なら、もっと周りの男の人をそれなりに大事にして侍らせていると思う。

私は好き勝手に振舞って、相手を疲れさせていただけだ。本当にあっちこっち振り回して、最後は利用してさよなら。なんて自分勝手。そうしてメンヘラを生み出すのがうまかった。

今は過去の愚行を無事とは言えなくともある程度は清算出来て、穏やかな日々の中にいることに安心する。

振り返ってわかることは、やっぱりわたしは男の人このとなんてふつうに好きじゃないし、というか嫌いなんだろう。きっと、じゃなくて。はっきりと。

だからこそなのかもしれないな。好きじゃないからこそ、他人を利用して消費できるのだ。そのために色目を使って思わせぶりなことも簡単にできたし、1人の人として扱ってほしいと思う反面、諦めもあったから女の武器を最大に使って男の人と遊んで回っていたのだと思う。

なんなら「チャラいイケメンの可愛いねよりも陰キャの可愛いねが100倍気持ちいいんだよね。なんでかわかる?あはは☆」くらいのことは言ってたような気がする。そうして傷つけてきた男の人は、何人くらいいただろうか。

私のこれを自傷だ、寂しい人間だ、辞めた方がいいという人もいたけどそんなことはわかってた。私は寂しい人間である自覚もある。私は誰といても疲れるし寂しいものは寂しい。でもひとりよりはちょっとマシ。

そして私には男でしか埋められない心の隙間がある。お腹の空いた子供と一緒。ただそこに居たから、寂しさを埋めるために利用したに過ぎない。

でもそうして利用するなら、良い人すぎると逆に後味が悪い。色目を使って思わせぶりな態度でもって、簡単な女の表層に引っかかる男でないと。それか同類の、女でないと穴が埋まらない人。どちらかが理想だ。そうすれば優しくしなくても、たくさんを期待しても許される。実際に許されていた。酷い話だ。

だから私は男の人の前で、素で優しかったことなんてほとんどない。今の恋人の前でも意識していないと、時々酷いことをしでかしそうになるのが怖い。その理由はわかっている。私はわかっていて、彼がわかっていないから、これから先も何度だって説明し続けなければならないだろうな。それはちょっと憂鬱。早く気付いてくれ。ああ、脱線した。

そんな優しくない私が何の見返りもなく優しくできるのは、基本的に家族や女友達と恋人だけ。あとは一部の、一緒にいて気持ちがいい男友達くらいだろうか。

私のことを一個人として認めて、きちんと人間として扱ってくれるから安心していられる。性的にみられることもなく、ただ楽しく幸福でいられるのは心地がいい。

だから私は彼ら彼女らには別に恋愛対象として好きになってほしいわけでも、私と結婚してほしいわけでも、ちやほやしてほしいわけでもない。下心もなく、ただ心から優しくしたいと思えるから側にいたいのだ。

そういう風に他人をジャッジして生きる私はきっと私が嫌いで憎くて世界で一番恨めしくて、そして宇宙で一番自分のことを愛しているのだろうな。