恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

なぜかいつも人生がどん底なんだ。

自己肯定感を上げるとはどういうことなのか。
よく「自分を褒める」ということだと勘違いしている人がいる。でも自分で自分のことをどれだけ褒めても自分で自分を好きになれなければ、結局は自己肯定感が下がっていく。
だって嫌いだ嫌いだって思いながら褒めていても、気分も上がらないし自分のためになることもない。
だから大事なのは自分を褒めるのではなく、先に「今の自分を認める」ことだと思う。
自分のことが嫌いで嫌いで仕方ない自分に「それでもいいよ」と言えること、そして「私はそれでも愛されている」「私は私を愛している」と思えるのが正しい自己肯定だ。
正しい自己肯定感は自分が嫌いだというネガティブな感情があることや、そういう感情があったことを受け入れることから培われていくと思う。
それが愛に繋がっていくのだろう。

正直とても苦しいしいやになる。だって今まで封じ込めていた大嫌いな自分を、「大丈夫」だよと言って抱きしめなければならないのだから。
そしてどんなふうに感じてもいいと許し、どんな自分も認める。こんなことを思ってはいけないと封じ込めるのではなく、どう思ってもいいのだ。
たとえ自分が嫌いでも、負の感情を抱く相手が肉親であってもいい。思うだけなのだから、それ自体に問題はない。
そうしていろんなものを受け入れて自分が許せるようになって初めて、今までたくさんの我慢をさせてきた自分に謝ることができるんだろうなと思っている。
いつも周りに気を使って一歩引いた態度。つらいときにつらいと言うこともできずに、本音で話すことを我慢させてきた自分に謝る。
そして、今までよく頑張ってきたけれど、もうこんな自分に我慢はさせないと決めて、大好きな人に接するように誰よりも一番自分を大切にしてあげる。
我慢していること、人に気を使って仕方なく合わせていることをやめる。
でもこれだけのことが私にはとても遠い。

こんなにもドロドロした感情を子供のころから一人で抱え込ませていたこと、誰にも言えずに藻掻いて苦しくてどうしようもなくてリストカットしたこと。
左腕の手首から肘にかけて、私の腕は年中絶えず包帯やカットバン、ガーゼで覆われていて、常に傷がついていた。そのせいで腕の一部だけ腫れているし感覚がない。切らなくなった今でもいつもなんだか疼いていて、痛いわけではないのだけれど、チクチクするというか、感覚過敏というか、ムズムズするというか、とりあえず無意味に気になる。爪を立てたりすると治まるから不思議だ。
私はアレルギー体質なのでお酒を飲むと体中が真っ赤になるのだけれど、腕の、もうすっかり薄くなって、普段はよーく目を凝らさないとほぼ見えない傷跡が浮かび上がってくる。医者にはもう一生腫れも引かず、感覚ももとには戻らないと言われている。あーあ。
気が抜けていたり自己嫌悪に襲われていると、いまだに切りたくなってしまうから、カッターナイフは基本的に刃を入れていない。入れていたら衝動的に切ってしまいそうだ。

でも自然発生では自己肯定感も愛も獲得はできないようになっている。これは今を生きているという意識と意志にしか育てられない。
自分を大切にすること、他者に寛容であることは生きやすくするし、自分も他人も愛しやすく、そして健やかに命を守れることに繋がっているのだと思う。
肉体も日常も魂ももう全部ひっくるめて今を生きることと今の自分を見つめることを日々意識して生きたい。
心も魂も自分の運命でも、世界からは逃れられないのだから、大嫌いな自分もいやな過去も何もかもを全部ひっくるめて、本当の自分で幸せに生きることを諦めないでいたい。
人のご機嫌を取って神経をすり減らしたり常に引いた態度でいるのではなく、嫌なものは嫌だと言って嫌われることにも慣れていこう。その中でも、誰に嫌われても理解者がいること、それだけは忘れずにいたい。そういう人間になりたい。
批判や悪意を真面目に受け取りすぎず、妬みにも動じないこと。無駄に傷つかないこと。全員に好かれるのは無理なこと。
でも筋の通った生き方をすれば必ず同じ志の最高の理解者が現れること。
これを心掛けるだけでも、意識は大きく変わっていけるのだと思う。

諦めたり絶望したり悲観したりするのは、誰に対しても何にとっても、愛ではない。

最近聞いてかっけーと思った音楽は、
天運我に有り(撃つ用意)/BUDDHA BRAND
です。
私もこれくらい強く勢いのある人間になりたいです。