恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

尾形百之助を考える④

 尾形と勇作さんって耽美だなと思う。言葉選びとか設定とか。例え腹違いであっても、実の弟を「たらしこんでみせましょう」なんて言って嗤う兄なんている?しかも連れて行くのが遊郭で、弟の視線の先は遊女でなくはだけた兄の胸元ってどういうこと?もうほんと何この兄弟。背徳感すごい。あと作者は兄弟のどちらかが死ぬってシチュエーション好きなのかな。この異母兄弟もだけど、二階堂とか鯉登、菊田さんもだったかな。みんな大切な兄弟を失くして、二度と会えないんだよね。尾形は自分で撃ち殺してしまったし、幻覚を連れ歩いてるからもしかしたらちょっと別の話かもしれないんだけど。

 しかし菊田さんから見ても仲の良かった兄弟なのに、どうして尾形と勇作さんは一緒にいられなかったのだろうか。確かに愛はあったのに。

 思えば尾形と勇作さんはお互い愛はあっても、お互いのことは何も見えていなかった。それは会話が圧倒的に足りなかったからだ。もしかしたら尾形と勇作さんが真正面から向き合って会話したり、兄弟喧嘩ができる仲になれていたら、結末は違っていたのかもしれない。二人はお話ができなかったから、未来永劫分かたれることになったんだよなぁ。でも誰かと真正面からお話できる尾形は、私の中ではちょっと解釈違いだ。尾形は思考が内向的なので。尾形は本当にどこまでも孤高で孤独で、コミュニケーションが下手過ぎる生物だったね。それでも勇作さんは、尾形に精一杯歩み寄ってくれていたのかな。だから最期に尾形は「勇作だけが俺を愛してくれた」と、勇作さんのあれを自分の人生で唯一与えられた愛だと言い切ってしまえたのかな、って。ただこれがわかりやすい絶対的な愛情や信頼を、何ひとつ与えられてこなかったんだという証明にもなってしまっているけど。

 幼少期の尾形はたまたま銃しか選べなかったから祖父の古い銃を選んだけど、少なくともその銃の使い方を教えてくれる祖父と食事を作ってくれる祖母がいた。だから愛がなかったわけでも、見捨てられていたわけでもないんだと思う。見捨てられていたら、全く別の尾形百之助の人生を送っていたかもしれないのだ。もしかしたらとっくに尾形は死んでいた可能性だってある。でも尾形は両親の愛を感じられなかったから、愛自体を感じ取るのも難しいのかな。そうだとしたらなんとも悲しいのだろう。

 ただその後の人生でどう生きようとするかは自分で決められるものではあるから、親からの呪いで雁字搦めになっている尾形と愛されて育ったはずのサイコパス宇佐美、尾形同様父親がろくでなしだったけど自分なりに過去との折り合いをつけている月島軍曹との対比で色々考えさせられるところもある。尾形は愛されたくて終始「その人の代わりにして、自分だけを見て」と試し行為を繰り返して、自らすすんで地獄の底に身を沈めてしまったのかもしれないなって思うと苦しいな。

 そして尾形は愛されて育ちたかったって思ってるけど、同じ父を持つ勇作さんが愛されて育ったのかはわからないのも怖い話だなと思う。作中では勇作さんの視点は存在しないし、勇作さんに関するエピソードはどれも他者視点しかない。つまり勇作さんが愛されて育ったに違いないって言うのは、尾形の妄想でしかないのだ。と言う事は、勇作さんの本当の思惑や真意はわからない。だから尾形が抱いていた劣等感や憎悪が、勇作さんをより眩く見せていた可能性が大きいのではないか。というかそもそも清廉潔白な人間などいる訳がないので、一皮剥けば勇作さんだって他の人と同じで俗物的な部分や醜さがあるだろうと思っている。勇作さんは周囲が思うほど、聖人君子などではないのでは?だって人間だもの。お願い。そうであってくれ。勇作さんって遊郭ではだけた兄の胸元を見る弟なんだ。ちょっとえっちすぎるだろ。お願いだから俗物的な人間であってくれと願う自分がいる。

 しかし本当に勇作さんは愛されて育ったのか、ちょっと気になるところだ。花沢家は地位も高く、由緒正しい家柄だ。勇作さんは公的にそのたった一人の跡継ぎで、まさしく「軍人血統」ということになる。愛があるかどうかはともかくとして、相当に厳しく躾けられて育っているのではないだろうか。そもそも勇作さん自身が花沢幸次郎という「優秀な血統」の後継スペアとして考えられていたとしてもおかしくない。
 その証拠に勇作さんは幸次郎に死亡率の高い聯隊旗手になり、偶像となることを望まれている。そして勇作さん自身もそれが自分の為すべきことだと思っていた。ここには勇作さんの意志もなにもない。ただ幼少期からの教育の賜物だ。更に母は息子大事さからか、幸次郎に極秘で息子の意志を無視して花嫁を見つけようとお見合いをセッティングしてしまう。挙句に代役が立てられ、それを勇作さん本人は知らないのだ。自我を認められてないというか、勇作さんへの周囲からの抑圧がかなり強い印象を受ける。だから勇作さんは尾形を「兄様」と慕って積極的だったのではないだろうか。

 勇作さんは本当の自分を、尾形にだけは知ってほしかったのかも知れない。他者に振舞う偶像ではない花沢勇作を見て欲しくて、それで尾形が愛されていたと言えるほど歩み寄って支えあっていきたいとか思っていても変ではないな。そうなると、勇作さんが尾形に父上からの言いつけの話をしたのかも何となくわかるような気がしてきた。勇作さんは尾形からして祝福された子だ。だから無自覚に尾形にとって1番辛い、愛されている証の話をしてしまったのだと思ってた。きっとそうではなくて、自分を見てくれないというか自分を通して父を見る兄様の心に届くのは父の言葉だけかもしれないという、勇作さんの苦渋の決断でした話だったのかなとか。勇作さんにとっても辛い言葉だったのかなと。

 となるといやまあ幸次郎自身も、勇作さんみたいに雁字搦めの「優秀な血統」の後継スペアとしてコマ扱いされてきたのかもしれない可能性はある。血筋は呪いなので。そして勇作さんは両親に板挟みになって、間近で血筋の呪いを見てきたわけだ。そうなるとある意味で尾形と同様閉ざされた家で、尾形と違ってさらに逃げ道がない勇作さんは、ヒロの思惑通りに結婚して自分だけ経済界に逃げようなんて思えるわけがないのかな。高潔というか普通に精神力強すぎると思う。高潔だったな。やっぱり勇作さんはもまともに愛されて育ったわけでもなさそう、というかこれきっと愛されてない。愛されて育ったなんて、尾形の妄想だった。

 尾形もあの閉ざされ母の狂った家では逃げ道はなかったはずだけど、純粋なまま歪んでしまって自分で家をぶち壊して逃げたもんな。それもそれで精神力の強さというか、思考の歪みが苦しくなる。

 似て非なるものだけど幸次郎に縛られていたという意味で言えば、二人とも同じだったのかもしれない。尾形は妾の子と言う呪いを受けていたし、勇作さんも同じように偶像と言う呪いを背負っていた。やっぱり親の存在が与える子供の人格や精神状態への影響は計り知れないものがあるな。やはり幸次郎、誰も幸福にしない、不幸で歪な手段を取ろうとしてトメには誠意尽くそうとしたんだね、辛かったねじゃなくて、お前が2人の女性と2人の息子を地獄に落としたんだわ、って解釈でいいのかもしれない。クソおやじすぎる。

 なのになんで尾形は幸次郎を少しも責めないのだろう。呪われろとか言われたのに。310話まであいつの呪われろがずっと響いてそうで、つらいし幸次郎が憎い。幸次郎は母を愛してなかったって納得しただけで、何も恨まないし文句の1つもない。しかも最後の最後で愛した瞬間があったなんて結論に行き着いてしまってもっと悲しい。尾形がひたすら純粋すぎた。ねぇそれが愛って、ほんとによかったの?男は出すもん出したらそうなんのよって言ってたじゃん。それでよかったの?尾形の欲しかった愛っておっ母に抱き締めてもらうとか撫でてもらうとか誉めてもらうとかそういうの求めてたんでしょ。将校になるのだって、そうなったら喜んでくれるかもって絶対思ってたでしょ。本当によかったの、ねぇ尾形、、、😢

 そういえば尾形って祝福を求める一方で、一度も誰にも赦しを請わなかった。赦されたら立ち止まれるのに。どうして自分が悪いしかないんだろう。きっと尾形は誰にも赦されなかったから、そのまま一生を歩き続けてしまったんだな。もしかしたらどうしたらいいのかわからなくて、赦して欲しいと口にできなかったのかもしれないけど。もし間違いと気づいた後どうしたらいいのかわからなくなってしまったのだとしたら、それはあまりには幼すぎる。そうして「自分は愛されて生まれた人間であったのか」を確かめるために母と弟と父、それから友を殺した尾形百之助の孤独がもう悲しい。

 ゴールデンカムイは全体的に愛がテーマになっている。尾形と勇作さんは兄妹愛だ。そして「与えられ続けた花沢勇作」と「与えられず奪われ続け、奪うことしかできない尾形百之助」の対比でもある。尾形はあまりにも子供の様で本当に幼い。本質的な精神年齢は、もしかしたら母を殺したときで止まっているのかもしれない。そこを何とかいろんなものでコーティングしているからちぐはぐなのだ。そんな姿に尾形の不遇を思う。尾形は与えられることなく育ったが、勇作さんからの愛はたった1つの奇跡のような愛だったのかもしれない。なお愛してくれる勇作だけが、誰も愛してくれる人がいなかった尾形の唯一だった。たとえ間違えた道を選んだのだとしても、愛のかたちはきっと本物だった。