恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

祈りの持つ力を信じますか?

 リー・ルオナンは超常現象を探る動画配信チャンネル喃喃怪ナンナンクワイを、恋人アードンとその弟アーユエンと共に運営していた。地下道に入ると祟られるという迷信を調査するため、3人はアードンの祖父が暮らす山深い村へ向かう。村人は指で印を作り面を伏せて3人を迎え入れた。儀式は親族以外は参加禁止となっているが、ルオナンはアードンの子を妊娠していたため特別に儀式に参加することが許されたのだった。

 儀式は2回行われる。1回目の儀式では村の老婆に言われるがまま、祭壇に祀られた仏母に自分とお腹の子の名前を捧げて呪文を唱えた。老婆は捧げた名前は使えなくなり、頭に思い浮かべることも禁じた。また10年に一度は仏母にお参りに来るよう言うのだった。その晩に村人だけで2度目の儀式が行われる。3人が儀式の様子を撮影しようとしていると、ルオナンは村の少女に祭壇へと案内された。

 祭壇には十数体の石仏像が置かれ、壁には不思議な符号の描かれた掛け軸、天井には2人の赤子やいくつかの手を持つ顔のない仏母が描かれていた。突然石仏が一斉に振り返り、少女が呪文を唱える。そこへ村人が駆けこみ、ルオナン達は部屋に監禁されてしまった。しかし部屋を抜け出し、地下道の入り口を破壊する。アーユエンとアードンが地下道へ潜入するが、アードンは村人たちによって変わり果てた姿で地下道から運び出され、儀式の部屋で焼かれてしまう。アーユエンは「何も聞くな」と叫びながら家の屋根から飛び降り、自殺してしまった。村人達も体が何かに蝕まれている。ルオナンは無我夢中で車を運転し、村から逃げ出したのだった。

 それから6年後、ルオナンは施設に預けていた娘ドゥオドゥオと、ようやく一緒に暮せることになった。ルオナンはドゥオドゥオに一生懸命に話しかけ、コミュニケーションを試みる。ぎこちない母娘の出発だ。新居でルオナンは本当の名前であるチェン・ラートンの書き方を教え、2人で名前を復唱した。この夜から怪奇現象が起こり、ドゥオドゥオは顔のない悪者がいると言い始めるのだった。

 ある日ドゥオドゥオがあの呪文を大きな声で唱え始め、体に異変が起きる。病院で脳障害による下半身不随だと宣告された。ルオナンはビデオカメラに残された仏母の呪いだと信じ再び精神科を受診するが、裁判所から親権はく奪されてしまった。ルオナンは里親だったチーミンと娘ドォウドォウを連れて、6年前に頼った寺院へ共に向かう。しかし同じ道を何度も通りたどりつけない。なんとか寺院へ到着すると、導師はドゥオドゥオのお祓いを始めた。尊師はドゥオドゥオに7日間絶食させるように言うが、ルオナンは3日目にパイナップルを爪の先ほど与えてしまう。ルオナンはドゥオドゥオを寺院へ連れていくが、導師も弟子も亡くなっていたのだった。

 チーミンは村に根づいたチェン一族の過去や経文の解読、破損した動画の修復に奔走し、和尚の動画をルオナンに送る。そして地下道での動画を見て自殺してしまう。修復された動画を観たルオナンはドゥオドゥオを病院に搬送し、自宅でLIVE配信を開始した。ルオナンは6年前に恐ろしいタブーを破ってしまったこと、娘の呪いを解くために符号を覚え祈りの言葉「ホーホッシオンイー シーセンウーマ」を唱えて欲しいと話し、配信を終えた。そして全身に経文を書き、仏母と対峙するため地下道へ向かう。地下道には“死生有命”と書かれた布で顔が隠された仏像があった。ルオナンは配信を再開し、嘘をついていたと告白する。また中国の和尚が仏母と呪文について説明する動画が流れるが、それを聞いていたのは妊婦姿のルオナンだった。ルオナンは信じてない人はこのまま呪文を唱え続けてほしいと言い、自分も目隠しをして呪文を唱え、仏母の顔にかけられた布を外す。地下道には配信を観ていた者たちの悲鳴と、ルオナンが自らの顔を祭壇に叩きつける音が鳴り響いたのだった。

 

 

 2022年公開の台湾映画で監督はケヴィン・コー。原題「咒」

 「呪詛」は配信された途端に話題沸騰、ランキング1位にもなったホラー映画だ。台湾の高雄市で実際に起きた、家族6人がそれぞれ違う神に憑りつかれてうち1人が亡くなった事件をベースに、5年の準備期間を経て制作されたらしい。

 私はなんだか衝撃的過ぎて一回では理解できなかった。あまりにもわからなくて、普通にえ?って言ってしまった。時間をおいて何回か視聴することで、やっとなんとか呑み込めた。ストーリーは簡単だ。6年前に訪れた奇妙な風習の残る小さな村で呪いを受け、自分と娘にかけられた呪いによって次々に起こる怪異に悩まされるというもの。しかしとにかく不気味で、呪いというものが連鎖して自分の周囲を巻き込んでいく様子が描かれている。呪いの連鎖といえばリングや着信アリ呪怨が有名かな。でも臨場感とかリアルさ、気色悪さは呪詛の方が上かもしれない。私的には怖い順で並べると呪怨 >呪詛>リングで呪怨とリングの中間点だ。

 呪詛は2ちゃんとか5ちゃんのような掲示板やYouTube動画にあげられる怖い話、都市伝説を見ているような気持にさせられる。多分ラストで明かされる核心部分が、そういったものを連想させるのだと思う。2ちゃんの「おつかれさま」や「ひとりかくれんぼ」のような実は呪いの儀式だったとか、「コトリバコ」のように呪いを拡散する媒体があるといった話を読んでいる感覚に近い。多分こういったネット上の書き込みとかチェーンメールとかがとてつもなく怖い人には呪詛は本当に怖いと思う。そんな呪詛が生み出しものとは、いったい何だったのか。

 主人公ルオナンはYouTuberだ。そのためか映画の視聴者に向かって「祈りの持つ力を信じますか?人は迷信と思いながらもあらゆる場面や行事で、無病息災や家内安全などを願います」と語り掛けてくる。そして「簡単な実験をしよう」と提案し、画面に突然観覧車のアニメーションが映し出される。「右回りになるように念じて」「次は左回り」とルオナンの指示をするままに念じると、観覧車を自由自在に回せているように見えるのだ。そして「これから起ころうとする結果は、自分自身の意志によって変えることもできる」と彼女は説明する。これで傍観者のつもりだったのに、急に参加者にさせられてしまった。ホラー作品としてはかなり異質だと思う。それに意志の力で世界を変えられるというのは、なんだか怪しい宗教のような感じもする。他にも入ってはいけない地下道や「あの神様のことを知れば知るほど不幸になる」と話す場面は、姿の見えない土着信仰の神が不気味に浮かび上がってくる。更に娘ドゥオドゥオが何もいないはずの天井を指して「天井に悪者がいる、追い出して」と不気味なことを言うのだ。ルオナンが「悪者、出ていきなさい!」と呼びかけるも、娘が「手を繋がないと出て行かないよ」と言い出すので、ルオナンは何もいないはずの空間に手を伸ばさざるを得なくなる。ぞっとする。そしてラストで明かされる真実がとびっきり不気味で気持ち悪い。しかし最後まで見たら納得できる。

 あらすじは綺麗にまとまっているけど、実際の時系列は入り混じってごちゃごちゃだ。しかし不気味さや恐怖は一貫していて、戦うことも抗うこともできない呪いと母と子の人間ドラマとで感情移入してしまう。ルオナンは私たちを最大限惹きつけて、最期に娘の呪いを払うという儀式に映画を見ている観客自身も参加させようとするのだ。そして衝撃のネタ晴らしで、さらに恐怖のどん底に突き落としてくる。しかもこの自撮り撮影の意味を理解させるための映像の繋ぎ方も絶妙にうまい。

 一番最後にドゥオドゥオが「お城が遠い」「バスがない」「お城は泡となって消えた」と笑顔で話しているが、ルオナンの望み通り、ドゥオドゥオは助かったのかな?