恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

私とデブスの呪い。

私は自分のことをデブスだと思って生きている。悲しいことに。

ぽっちゃり体型で細身のスキニーが履けないだらしない身体。のっぺりとしていていつでも眠そうに見える間抜けな顔。とにかく全部が憎たらしい。だから自分の好きな服、好きな化粧ではなく、自分に似合う服、似合う化粧からなかなか抜け出せない。自分で自分の見せ方を心得ていると言えば聞こえはいいけど、芯がないともいえる。

一時期は食べ物をできるだけ吐いて、少しでも痩せようとしていた。吐き始めた理由は別のところにあったけれど、体重が減って味を占めてしまったのだ。おかげさまで立派に摂食障害になってしまったし、吐かなくなった今でも、思ったよりこいつに悩まされている。

摂食障害の末にまっとうに運動なんてしてみてるけど、運動なんてしてもしてもとにかく可愛くなれない。だんだんと整形願望が膨れ上がっていく。とにかく何回鏡を見てもデブでブスな自分しかいなくて辛い。もうすべてにおいて見た目に取りつかれまくっている。

この記事書いてる間もどうしようもない現実にしんどくなってちょっと書いては休んで、嘔吐したい気持ちと戦って、落ち着いたらまた記事を書いて、そんなことを繰り返している。

こんなことを言うと「わかる~」と等身大100%の共感や苦しみや涙がどこからともなく湧いてくる。ブスだからダメ、幸せになれない。きれいになりたい、可愛くなりたい。あそこは嫌い、ここは変えたい。そんなのばっかり。早く死にたい、次は可愛く生まれ変わりたいなんて言ったことも、言われたこともある。もしかしたら生まれながらに美人であったなら、こんなこと思う暇もなく、もっともっと幸せに生きられたかもしれない。ちなみに生まれながらの美人はそうでない人との生涯で得る金額に、二千万円以上の差があるというデータも出ている。美人は得だ。私も相手もお互いに共感の嵐だった。泣きながら同意した。

何年か前の話だが、週3でプールに行き週2で走り込みをしていた時があった。本当にスルスルと痩せていくし、どんどん綺麗になっていく。10㎏近くは痩せたので、着られる洋服の幅も広がって、本当に嬉しかった。でもまったく幸せにはなれなかった。手に入れたものは多大な自己満足と満たされる承認欲求だけ。綺麗になること、可愛くなることと幸せはイコールではない。私はこの時にそれを知った。

可愛くて綺麗であれば周りにちやほやされる回数は増えるし、本当の本当に好きな人と一切の妥協もせず付き合って、そのまま結婚できるかもしれない。それでも幸せとは決してイコールにはなれないのだ。

きっと誰も自分の人生に満足ができない。生き物はそういう風にできている。満足できてしまえば、たぶんだけど生きる意味の9割近くはなくなるのではないかと思う。

わかっているのに、どうしようとも自分に永遠に満足できない。意識の底の底の底の方から、いつだって自分が一番憎たらしい気持ちが沸き上がる。どうしたら幸せに、自分に満足できるのか。絶世の美女にでもなれればよかったのか。答えはノーだ。綺麗になったところで幸せにはなれない。

じゃあせめて幸せはどこにあるのか。どうすれば幸せになれるのか。

そもそも、幸せってなに?幸せになる方法ってどこにあるの?そんなのは誰にも分らないし、恐らく神様にだって聞いても答えはないって言われると思う。でも不幸せでない生き方だけはちゃんとわかってる。

だからまず吐くとかやめなさい。吐いたところで何の解決にもならないから。吐かずにいられない気持ちがあるのもわかる。でも吐かない。話はまずそこからだな。