恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

私はいつも夢のかけらをたくさん握りしめている。

 私はあまり夢のない子供だった。5歳くらいの時にアイドルになりたいと言い出して、でもそれが叶わないことを知ってからはなんとなく夢というものが無くなった気がする。
 小学生に上がってからは将来の夢を問われるたびに困っていた。あるときは看護師、またある時は花屋さん、お菓子屋さんetc.…周りの女の子たちがこれがいいあれがいい。そういう夢を私も適当に描いて、誤魔化していたように思う。はっきりとこれになりたい、あれになりたいなんて夢はなかった。こういうところは、今思うとなんだか冷めた子供だったかもしれない。そうしてある日、私に1つの夢ができた。
「カメラマンになりたい」
 確か小学校4年生くらいだったように思う。そのころの私は転校生だというだけで虐められていて、一人でいることが多かった。いじめっ子が言うには私が来てから一番の仲良しちゃんが私に構うので、私に友達が取られて寂しいということらしい。口に出さなかったけど、馬鹿らしいなと思った。そしてそれに加担したり、見て見ぬふりをするクラスメイトも。私は引っ越して半年もしないうちに学校もクラスメイトも嫌いになって、家の中だけが安心できる場所だった。そして一人でできることばかりが、私の友達になった。その中でも特に読書が好きだった。物語は私をいじめない。空想は無限で美しい。彼らは私のかけがえのない世界になった。活字に沈んですっかりひとり遊びのうまくなった私がなぜカメラマンなんてと思うだろうが、そのきっかけもやはり本だったのだ。たまたま図書館の隅で埃を被っていた分厚い本。といってもほとんどエッセイのような写真集のような、というようなものだったけど。掲載された写真に撮影者が1つ1つ、丁寧に文章を添えてくれているのだ。きらきらと詰められた宝石のような星々。添えられた撮影者の言葉。素敵だった。ベストショットをじっと待つ時間。1人の仕事。暗闇と孤独を愛し、一瞬の芸術を慈しむ感性。時折話をする少人数のスタッフ。寒い世界での暖かな食事。暑い世界での処世術。そのすべてに惹かれた。私もああいう美しいものを撮ってみたい。ただそれだけの原動力で、食べていく大変さを思っても、この仕事がよかった。虫は嫌いだけれど、自然も苦手だけれど、それを乗り越えてでも写真を撮っていきたかった。結果は惨敗で、大反対された。それでも星への憧憬が諦めきれずに、大嫌いな数学を何とかしてでも天文学者になりたいとすら思うほど、このころは星に焦がれていた。きっと遠くて誰もいない、私に優しい世界に憧れていたのだと思う。
 その翌年、私の夢は小説家になった。あんなに写真がだめだと言われたなら、次は私の好きなものをそのままそっくり仕事にしてしまおう。私の空想に救われる人がいてくれますように。そんな気持ちで小説を書く人になりたいと言ったような気がする。そのころの私は西尾維新戯言シリーズを読んでいて、とても救われたのだ。こういう文章が書いてみたい。母親は絶叫した。それだけは絶対に苦労する。どうしてカメラマンだとか天文学者とか、そんなものにばかり興味がわくの。どうして苦労したいの。お母さんを安心させて。お堅い仕事に就いて。それができないならあなたのひいおじいちゃんが残した大工の棟梁にでもなってくれ、自衛隊でもいい。何十回と私に言い募った。頑固な私は諦めるなんて言い出さなかったけど。こればっかりは西尾維新を私に与えた母親が悪い。そうして私の人生に文筆が寄り添うようになった。そしてその年の夏休み。母親の薦めで私は小説を書いて、自由研究として提出することになった。
 題材はその時たまたまテレビで特集されていた座敷童の出る旅館だ。図書館に通ってそのあたりのことを勉強した。方言のほかに歴史や地理、伝承について。行ったこともないのにかなり詳しくなったと思う。母親は私がすぐに根を上げると思っていらしく、意外ときちんと書いていることに驚いていた。最初は短編で。そう思っていたのに話がどんどん膨らむので、母親ももう原稿用紙がないの?なんて言いながら私の進捗に対してかなりお尻を叩き、完成を心待ちにしていた。結局260ページほど書いてそのまま未完のまま出すことになってしまった。それでもまだ折り返し地点にたどり着かなかったのだから、私は結局どれだけ長い作品を書こうとしていたのだろうか。謎である。
 先生は予想に反してきちんと作品を読み込んで、原稿用紙の基本的な使い方と一緒に小説の感想をくれた。多分これは一生忘れられない。だって人生で初めてもらった感想だもの。
――とても丁寧でテンポのいい作品ですね。すらすらと読んでしまいました。物語はまだまだ中盤のようですが、可能性を感じます――
 確かそんな感じだったと思う。もうその感想は、中学の時にすべて失われてしまったので、私のニュアンスと記憶の中にしかない。残念だ。その先生は私に2冊の本をくれて、私はその話が死ぬほど好きになった。ありがとうございます、音頭先生。
 そうして初めての小説は先生に絶賛されていたらしく、その噂を聞きつけた別の先生がその作品を読みたい、貸してほしいというので、原稿を貸し出した。そうしたらそれに図書カードと一緒に感想が届いて、とても嬉しくてしょうがなくなったのを覚えている。
 そうして確信した、私は物語を書くのが好きだ。途中で書けなくなった時期もあったけれど、それでも物語りを書きたかったのは変わらなかった。そうして私はたくさんの物語を生み出しながら、今生に生きる私とは別の世界線の生き物を生み出し続けている。
 私の小説は私の中にある空想の並行世界だ。あるときは学生で、ある時は社会人。あるときは芸能人でまたある時はなんでもない生き物。
 しかしいくら空想しても私は私で、私は何者でもない。もう作家を夢見ることはできないかもしれないけれど、趣味ならいくらでも書き続けることができる。私は今もあの時の、初めての感想と称賛とそこから得られる幸福と苦しさと愛おしさを掌に載せて、小学生の時から握りしめている夢のかけらをゆるゆると零しているのだ。