恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

透けて見える男の理想なんてくそくらえ。

私は半沢直樹があまり好きではない。
半沢直樹と言えば高視聴率を誇ったドラマだ。普段はほとんど日本のドラマを見ない私でも、これはさすがに多少は視聴した。話の展開、脚本も面白い。水戸黄門のような勧善懲悪と、キャッチーな決め台詞もしっかりと耳に残っている。面白かった。しかしそれでも、あまり好きではない。それどころか気持ち悪いとすら思っている。
それはなぜか。言語化するのにかなり時間がかかったが、やっとちょっとわかった気がするのでこの記事を書いている。

それは日本の男の願望に対して、気持ち悪さを感じていたのだ。これはどうせ男はああいう女が好きなんでしょ、という怒りにも近い気がする。

半沢直樹の世界では、女は添え物になっている。なぜなら作中でがほとんど女が出てこない。出てきたとしても男を甘やかし奮起させるような人物像を持つ、妻や女将ばかり。つまり引き立て役だ。バリキャリなどとは程遠い、昭和的表現の女がいる。その代表格が半沢の妻、花ではないだろうか。

花は半沢の仕事を、そこまで理解しているわけではない。というか業務内容に関しては何もわかっていないかもしれない。だから大げさでわざとらしいほどドロドロした彼らに比べると、花は特に人畜無害で別世界に住んでいるように描かれているように見える。

花は半沢のために美味しいご飯を作って家を綺麗にして、半沢に「行ってらっしゃい」「おかえりなさい」とにこにこしている。いつでも可愛く綺麗で素敵な奥さんだ。
半沢にとってきっと花は、かわいくてふわふわした生き物なのかもしれない。だから「お前は何も心配しなくてもいいよ」って頭ぽんぽんするのだ。そう考えると、2人は決して対等な存在ではない。だけど花はなぜか気が付くと、半沢の役に立つ情報を仕入れてきたりする。時々𠮟咤激励もする。そうして半沢の危機を、なんだかよく分からないうちに救っているのだ。そして半沢は「花ちゃんよくやった!」と抱きしめる。なんだこの構図。大多数の日本人男性の願望が丸出しではなかろうか。こんな妻がいてくれたらいいのに、が透けて見えているなんて大変にグロテスクだ。日本の男は相変わらず、花のような女を求めているのかと突き付けられたような気持になってかなり沈む。もしこんなことされたら、きっと私はお前の母親ではないと言ってしまうかもしれない。

しかし逆に言えば日本の男は単純でちょろい。

ドラマでもそうだったが、現時点でも銀行員の妻は経済的には他よりも、多少余裕のある暮らしを手に入れられる。仕事を辞めて専業主婦になっても問題ない。自分が専業主婦でも子供がいても、生活の心配をしなくてもいいのだ。半沢との結婚はそのための布石であると思えるなら、男が望む女を演じて、楽ちんに楽しく自由に暮らすのも悪くない。
料理がうまくて家事も完璧、聞き上手の床上手で夫親とのコミュニケーションもできる。夫の「妻には自分の知らないところで行動をしてほしくない」というような支配的な感情や、「家事や身のまわりの世話を含めたケアしてほしい」という願望を一手に担い、にこにことしている。強かな女の戦略ともいえるかもしれない。
そしてその強かさを隠し持っているかもれない女が花なのだ。強かさに気付かず「花ちゃんみたいな奥さんがいい」なんて言えてしまうのは、ドラマ半沢直樹がとてもよくできた時代劇であった証拠だろう。

なんて考えてみたけど、きっと誰も彼もこんなことを考えてドラマを見ない。それは勧善懲悪とキャッチーな決め台詞、年寄りでも子供でもわかりやすい単純な物語が大好きなこの国らしいと言えばらしいのかもしれない。

私は日本のドラマよりも海外ドラマが大好物なのだが、最近は多様な女性が出てきている。男性に守られるような女性もいれば、自分の力で生きることのできる強い女性もいる。それに比べると、日本はあまり多様性がないような気もしなくはない。
この国ではわかりやすいことが好まれている。そして変わらないことも。周囲に溶け込むことも大切。だって定番は正義の味方だから。

嗚呼しかし。料理がうまくて家事も完璧、聞き上手の床上手で夫親とのコミュニケーションもできる。もしもこういうものを男の理想というのならば。要するにそれは「男の都合に合わせる力」をもった女が理想ということになる。もしそんな苦行を課されるくらいなら、私は一生一人でもいいし普通にくそくらえだわ。
そう思うのとは反対に、ドラマを見ながらぼんやりと「嗚呼いいなぁ、家でご飯作って待ってくれる人がいるって」とも思ってしまった自分もいる。私も結局は同じ、都合のいい人が好きな部類の人間かもしれない。

最後に。妻に「家で待っていてほしい」と望むのは、子どもが母親に「お帰りなさい」と言ってもらいたいという気持ちと似ているような気がする。これはちょっとひねくれているかもしれないけれど。

おしまい。