恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

食べるという行為について。

 愛は食卓にある。某マヨネーズ会社ではないが、私はそう思っている。それは私が幼少期から添加物の少ない食事をしていたからかもしれない。塩や砂糖もできるだけいいものを使って、冷凍食品もほとんど使用せず。そんな我が家の冷凍庫には基本的に肉や魚、野菜しか入っていなかった。お弁当用のおかずだのなんだの、そんなものとは16歳になるまでとんと無縁だった。農薬はなるべく綺麗に落とし、魚や肉をくつくつと鍋で何時間も煮込む母の姿が、私はとても好きだった。いただきます、ごちそうさまでした。私にとって、食べることは愛を受け取るという行為だった。
 そんな私は今摂食障害に悩まされている。食べられないこともあれば暴食するときもある。普通に食べる日もあれば偏食の日も。私の一人きりの食事に愛はない。なぜだろうか。ふと考えたときに、いつもフロストが思い浮かぶ。なぜフロストか。よくわからない。でもフロストだ。口が関係しているからかもしれない。なんだっけフロストのほら、あれ。人間は幼児期から性欲があるとかいうあれ。忘れちゃったけど、確か5段階に分けられるやつじゃなかったかな?

 まぁそんなフロストが言うには、幼児期は口から快感を得る。曰く食べ物を食べる器官としての口は、愛情を受け取るための器官らしい。つまり子供の頃は口を通じて、愛を感じていたということになる。おっぱいを吸うのがきっとそれだ。成長してからは、キスが愛情を確かめる大事な行為となるわけだし。私たちの口の使用用途がおっぱいを吸うことから食べること、そしてキスへと変わっていく。なるほど。子供は食べ物を通して愛情が与えられていると感じながら、成長するわけね。だから人は愛が足りなかったり、不安や緊張があると食べ過ぎる。逆に言えば愛情に飢えてるからこそ食べたくなるし、食べても食べても足りないし、お腹がいっぱいになっても不安だらけで満たされないから吐いてでも食べたくなる。そしてお腹がいっぱいになったときには、とても満たされた感覚がして安心感がある。それは愛されて満たされた感覚に近いからだ。そして愛が足りないと感じるとまた食べたくなる。悪循環。摂食障害は愛が足りてないから引き起こされるということになる。
 摂食障害は一般的には母親との関係が原因と言われているらしい。まぁ日本では現状母親が家事を担っているからなわけだけど。ただ父親が家事を担っていて父親が料理をしていたなら、それは父親との関係が原因になる。だから薬や医療ではどうしようもない。子ども時代からの寂しさや不安、とにかく愛が不足している感覚を癒していく必要がある。まずは親なりの愛し方を受け取ったり、親以外の人が与えてくれた思いを受け取ったりすることで、少しずつこの症状を収めていくことが先決だ。
 それから、満腹感を感じると眠たくてしょうがない人っていると思うけれど、それは体に正常な反応らしい。体が消化にエネルギーを費やしてまうので、その分他へエネルギーが回らなくなって眠たくなるという仕組みだ。ということは、だ。眠れないときや、ストレス発散したいときにも、私たち人間はなにか食べたくなるということでもある。なぜなら自然と気持ちが緩まって、リラックスできたり眠れるから。
 緊張していたり、ストレスで神経が張りつめてる時になにか食べることで緩んで和らぐとしたら、それが欲しくならない?私はなる。そんなことないと思いたいけど、鬱が酷くて眠れなくなった夜中の夜食とか。あとはご飯食べてお腹がいっぱいなのに食べ始めちゃうお菓子とか。似たような心理としては、不安な時や怖い時もそうだと思う。満腹感は安心をもたらしてくれるから。不安が強すぎて食欲が失せるときもあるけど、それはまた別の話だろう。
 食べる以外の方法で愛情や安心感を得られるようになれなければ、永遠に摂食障害と手を繋いでいないといけない。といっても愛情とか安心感が欲しいとかいうのは潜在意識にあるものなので、自分で気づけるわけでもない。自分でその状態に気づければいいけれど、ここまで摂食障害の仕組みを知って、さらに自分の不安に気づける人間はそもそも摂食障害にはならないと思う。
 今私ができることは愛が足りなくて寂しいのか、不安なのか、緊張を緩めたいのか、安心したいのかに、必死で向き合っていくことなのだと思う。それは自分と向き合っていくことであったり、誰かと話をすることであったり、自分を愛してくれてる人の存在と過ごすことであったりと様々だと思う。
 全国の摂食障害の皆さんへ。幸あれ。