恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

見たいものを、見せてあげる。

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ヘルタースケルター 映画ポスター

  

映画『ヘルタースケルター

 原作は未読だが、岡崎京子原作漫画「ヘルタースケルター」を実写化したもので2012年公開となっている。

 公開当時の年齢は19歳。19歳の夏。人生で初めて、映画館で泣いた。衝撃的だった。見終わって、エンドロールが流れる間も、何もできなかった。呆然と、ただ泣いた。何が何だか分からないまま館内も明るくなって、清掃用具を手に持った店員を見て、やっと私は我に返った。りりこと一緒に、私まで落ちていく。「ヘルタースケルター」は私にとってそういう映画だった。

 

 素性不明の人気ファッションモデル・りりこは、実は全身を作り変えるほど危険な美容整形手術を施しているという重大な秘密を抱えていた――故にりりこは美人でスタイル抜群。モデルの他に歌手と女優業をこなし、女子高生の憧れの的である。しかし実際の彼女は、情緒不安定で付き人に当たり散らす嫌な女。

 彼女はそれ以前、デブ専門の風俗店で働いていたが、芸能プロダクションの社長(通称:ママ)にその骨格の良さを買われ、整形手術を施されたのだ。りりこはその作られた美貌でトップスターになっていくが、代わりにその容姿を保つための定期的なメンテナンスが必要となった。度重なるメンテナンスと副作用、美への執着によるストレスで、心身ともに蝕まれていく。そんなとき、結婚を狙っていた南部デパートの御曹司・岡田史夫が別の女と婚約し、りりこは裏切られてしまった。この裏切りにより彼女の情緒不安定が更に進行していくことに。更に芸能プロダクションの後輩・こずえが登場し、りりこは徐々に芸能界から干されていく。こずえは生まれながらに美しいが故に、美に執着しない。そこがりりこを精神的に追い詰めていくのだ。仕事に集中できなくなってきたりりこを厄介に思い、ママは仕事から外そうとするが、そのたびに精神状態が悪化してますます荒れるように。ついにりりこは仕事中に倒れ、ママから休業を言い渡されてしまう。またりりこを整形した美容クリニックの隠された犯罪を追う麻田検事がりりことママに接触したことで、彼女はさらに窮地に追い込まれていく。

 麻薬によって現実と悪夢をさまようよう日々を送る中、りりこは自分の付き人・羽田とその恋人を呼び出し、以前の恋人・岡田の婚約者殺害計画を指示する。しかし羽田とその恋人を使った婚約者殺害は失敗、未遂に終わる。

 りりこに恋人を寝取られ、未遂ではあるが殺人まで行っている羽田は、りりこの脱税・薬事法違反・臓器売買・全身整形など全ての秘密をマスコミに密告。これにより美容クリニックには警察の手が入り、りりこは満足にメンテナンスを行うこともできず、全てを失った。りりこの記者会見はお膳立てされ、会見のために体中メイクを施し見た目だけは美しい体を手に入れる。だが記者会見直前、控室には抉られた血まみれの眼球一つ。りりこは都市伝説となった。

 数年後、海外ロケに出ていたこずえはスタッフに連れられ、フリークショーを見学することになる。そこで消えたはずのりりこと彼女の付き人・羽田を目にしたのだった。思わず羽田を追いかけるこずえを待っていたのは、蝕まれた傷だらけの体をそのままに、自ら見世物としてショーに出演していたりりこだった。

 りりこはこずえに妖艶に微笑みかけ、幕が閉じる。

 

 

 ヘルタースケルター岡崎京子原作の漫画を、写真家でもあり映画監督でもある蜷川実花が映画化したものだ。映画の中での設定で、窓とされる壁の一面に青空と実際に蜷川実花が撮影した沢尻エリカの唇を合わせた写真が大きく掲げられている。極彩色の世界観を作り上げることが得意な蜷川実花。本作でも見事にその腕前を発揮している。また撮影は何年にも渡っており、とてもこだわりの強い作品といえるだろう。美術面で本作のこだわりが特に詰まっているのは、主人公・りりこの部屋だろう。リビングのソファやクッション、馬のオブジェ、小さなキリストの置物など、蜷川監督の私物が、家がすっからかんになるほど大量に持ち込まれ、撮影の美術道具として活用されたという。

 さて、映画雑誌によると20代~30代の女性を中心に受けているというこの映画と沢尻エリカの魅力とは何だろう?

 ヘルタースケルターが登場した90年代は、「カネでなんでも買える」というメンタリティーを身に着け、「男は賞味期限付きの若さと美貌にハマるちょろい生き物」だと侮った考え方を持つ援交少女たちが登場した時代だといえよう。人間の欲望はとめどがない。この物語の背後には、当時の、カネで寿命も健康も買いたいという財政界の権力者たちの存在が暗示されているといえる。今の女の子たちは若さと美は賞味期限付きだとわかっているから、りりこよりも客観的に自分を見ているだろう。若くて美しい今の私こそが「私よ」とは思わない。それだけ、現実が洗練されたってことだろう。しかし、洗練は無鉄砲でいきいきとしたエネルギーとは無縁だ。りりこはあんな現実を引きつけておきながら、「自分の人生、自分で決めてきたんだよ」と啖呵を切るが、私たちの世代にはそれがない。洗練されている若い子たちは、美しさのピークを終えたあと、長い人生をどう生きていけばいいのか、という軽い絶望もあり、また絶望しているからこそ、プチ整形なるもので変身して遊ぶという、退廃と達観の両面があるのではないだろうか。映画の中でしばしば取り上げられる女子高生たちの会話は「りりこよかったね、はい次」「こずえもよかったね、はい次」というように、話題がスピーディで軽くて、一過性のものだ。いつも空騒ぎのような躁病的な笑いに満ちているともいえるだろう。現代社会ではやって情報を受け流していかないとやっていけない、というのが伝わった。

 りりこは痛い女の典型だ。この映画ではそこまで痛さを感じない。なぜだろうか。それは、ヘルタースケルターは、女のための女による映画だからであるといえよう。麻田という検事を除いて、登場する男という男はみんな女の欲望のツールになっているのだ。だからどんなにエロいシーンでも、女が男の欲望の犠牲者としてではなく、自分自身の欲望の主体になっている。登場する男たちは、女の“表層”にしか反応しないわかりやすい男ばかり。完璧な“表層”を持つりりこは、どんな男でも従わせることができる。この映画はつまり「もう男はいらない」というメッセージが込められている。欲望のままに自分の表層を変えて、欲しいものを手に入れて、自分が信じる観念の世界に自分自身を捧げる求道者、岡崎京子蜷川実花もりりこをそういう風に描いている。だから、りりこが最後まで執着したのは男ではなく、マネージャーの羽田だったのだろう。あれは一種のレズビアンで、DVの共存関係だともいえる。一方羽田は羽田で、最終的にはりりこを自分だけのものにしたかったんだろう。SMにリアルにおける支配と被支配の逆転関係の典型だ。

 劇中では事情聴取に応える形でりりこのことを語る人間が次々登場する。その中にはもちろんりりこを嫌う人間もいるが、ヘアースタイリストの沢鍋は彼女との仕事を誇りに思っていると語るし、マネージャーの羽田に至っては彼女に心酔しきっている。羽田は彼氏をりりこに寝取られたうえ犯罪の片棒を担がされ、さらにはりりこのレズの相手までさせられるのだ。どんなに理不尽なことをされても愚直にりりこを慕う羽田の存在は、りりこを慕うすべての女性の象徴ともいえるのではないか。正確には女性の美しさに対する憧れの象徴なのだろう。

 そうだとするとりりこが通っている美容整形外科を訴追しようとしている検事・麻田誠の存在とは一体何に当たるのか。彼の意味ありげなセリフは作品のポイントでもある。いわゆる世間常識だったり、社会の秩序を守ろうとする麻田は、しかしこの物語の中で誰よりも客観的にりりこを観察し、彼女の彼女自身ですら掴み切れていないりりこを理解していた存在だと思う。「一見完璧に見えてバランスがずれている。そこがなんとも不思議な感じだ」とは麻田の言葉だが、そのバランスのズレも大きくなりすぎるにつれて、りりこ自身の中でも収拾がつかなくなっていく。もう辞めたい、でもみんなに忘れられたくないという揺れる思い、悲哀、冷たい現実。。。まさにヘルタースケルター、しっちゃかめっちゃかだ。麻田はりりこを愛するがゆえに、りりこを芸能界から葬り去ろうとするのである。登場時からりりこの整形を見抜いていた麻田は、りりこの最大の理解者であると同時に、最大の敵たる存在なのだ。

 『ヘルタースケルター』の筋立て自体はそんない複雑ではない。一言で言って、整形美女の栄枯盛衰の話である。だがこれはまさに女の欲望は”欲望される欲望”ともいえる作品なのではないだろうか。

 

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