恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

村社会のしんどさに馴れ合うつもりはない。

私は社交性の低い人間だ。いや、社交性が低いと言うか、人間がそんなに好きじゃないから人間関係の維持に関するモチベーションが低い人間であると言う方が正しいかもしれない。既に仲のいい友人たちとなら別だが、そうでないなら究極に仲良く!だなんて思わない。初めて会った人なら仲良くしようと気概を見せはするが、無理だと思ったら諦める。だって無理だもの。仲良くしたいと思う人もそんなあちこちにいるわけではない。

今所属している会社はよく言えばアットホーム、悪く言えば閉鎖的。社員はみんな何かしら知り合いの紹介やらなんやらで入社している、所謂身内だ。次期社長は社長の息子。常務は次期社長の義弟。専務は社長の知り合い。ほかの社員もそうして何かしら社長や次期社長、ほかの社員たちに関係ある間柄だ。今年の新卒君と私くらいしか外様の人間はいない。その新卒君も秋の初めにバーでバイトしていたのが会社にバレて、その日で即刻首を切られていた。社会は副業解禁の流れとなってきているのに、今どき副業禁止なんて珍しい会社だ。

社内ではしきりに「みんな仲良く」「プライベートもお互い知っていこう」「飲みにケーション!」「趣味とか人となりとか知りたい」「コミュニケーション大事にしないと仕事できないでしょ」「社員はみんな家族!」とか平気で飛び交っている感じだ。学級会かな?

そんな中で私はかなり異質で浮いている。可愛げがないとすら言われた。いや無理だろ。私は趣味嗜好ぜーんぶさらけ出しながら仕事はできないし、公私混同が無理すぎる。心の電源は早々にシャットダウン、ウィーン。閉店です。現在、常に心の扉を閉めたまま仕事をしているが、扉が開けられないならクビだと言われた。はっきりクビというよりも、考えないといけないとか。うちには合わないと思うからとかそんな感じ。いや普通に無理すぎ。仕事の能力とプラべにはなんの相関があるの?てか知ってどうすんの?って心境。

最近、こういった場面をよく見るような気がする。そしてこれは様々な場面でコミュニティや界隈という風に名前を変えて、流行りつつあるようにも思える。しかし私にはこれらが気持ち悪くて仕方ない。なんだろう。人として社会で生きていくためにはある程度の順応が必要なのはわかる。でも、それ以上に気持ちが悪いのだ。まるで村社会にいるような錯覚さえ覚えることもある。こう、なんというか内輪ノリコミュニティの塊に見えると言うかなんというか――いやちょっと待って。そもそもだ。内輪ノリのない、他者に開かれたコミュニティとはなんだろう。

私は以前、コンカフェで少しの間だけ働かせていただいていた。多分3ヶ月とかそれくらい。お店は常に活気づいていて、楽しかった。私は様々なお客様をこの目で見て、そしてたくさんシェイカーを振らせていただいた。本当に感謝している。オーナーが新しくバーを開くのでコンカフェの経営を辞めると言いだして、そのまま私はそこから身を引いた。新しいバーへの勧誘は丁寧に断っている。惜しいことをしたかもしれないけど、私はコンカフェのあの空間が好きだったのだ。観光客向けのお店にはあまり興味がわかなかった。あのお店の跡地は今どうなっているのだろう。

私の居たコンカフェには本当に様々な趣味を持っている人がいた。2次元が好きでアニメの話がしたくてカフェに通う人、コスプレイヤーが好きな人、メイドが好きな人、女の子を見るために通う人、推しに会いに来る人、非日常を味わいたい人、本当に様々だった。そこは界隈性というものに溢れていて、私は自分の知らなかった世界を存分に楽しんだ。ただ同時にこの界隈性というものは、誰にでも開かれたコミュニティではないことも知った。

ここでいう界隈は属性に近い意味を持っている。人々が「互いにコミュニティを築き繋がりあう」こと、「違う属性を持っている人とも仲良くなり新しい関係性が生まれていく」ことを言うそうだ。これはコンカフェ時代にお客様に教えていただいた。とても素敵だと思った。だってそれは自分の属性や専門を飛び越えて友人ができていくということだから。私もあの喧騒と熱気の中で楽しく過ごしたし、新しい出会いや刺激をたくさんもらった。私はあの空間のことも、界隈性のことも否定したりはしない。

ただ思うのが様々な属性の人間がいると言っても、あのお店は広く万人に開かれた空間ではなかったということ。そして結局はあの空間も界隈性のない、内輪ノリコミュニティだと言うこと。例えオタクが集まる空間であっても、社交性の高いオタクだけが築いていくことのできるコミュニティだ。外部の人間は入りづらいと感じるだろう。あの空間はオタクだからという安易な理由で形成されているわけではない。

人間関係というのは親密になるほど、距離感が近くなればなるほど良いと言うものではない。なぜなら人間は3人以上集まると「繋がり」のほかに「しがらみ」が発生する。そしてよくも悪くも相性があり、みんながみんな相性がいいとは言い難い。だから一定の距離を保たないと衝突するし、誰かと親密になればなるほど他者との関係性も薄くなっていく。逆に言えばコミュニティ内で繋がりが生まれそれが強固になれば、コミュニティはどんどん内輪へと閉じていくのだ。

広く大勢の人に開かれた空間というのは、人と人との距離感や空気感が付かず離れず心地いい場所のことを言うと思う。大切なのは距離感。互いに挨拶を交わし調子はどうだと尋ねぼちぼちですよと答えるだけの空間のことであると思う。そのまま話し込んだのならばそれは閉じたコミュニティとなる。閉じられたコミュニティに適用できる人は、他人と関わる意欲が特別高い人だけ。

私には難しいので、早々に諦めようと思う。早く転職しよう。そうしよう。心の中でそう唱えて、エージェントサービスに登録した。