恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

愛と送る生活

私は鳥を飼っている。品種はセキセイインコ。黄色でもふもふとした羽毛の生物。会社がCOVID-19によって自粛するかもとか在宅勤務にしようとか言っていたので、ペットが欲しくなってお迎えした。在宅時の癒し、的な。結局会社の動きが遅くてそういったものとは無縁な生活を送る羽目になってしまったけれど。

お迎えの日は2020/4/18(土)の昼過ぎ。ちょうどその日からひとりごはんを始めて、大人の階段を一歩昇ったひな鳥。生後1月ほど。手乗りにするのにも懐いてもらうのにもまだ間に合う個体。というかすでにとてもなつっこく可愛い。懸命に鳴きながら指に縋り付き、ご飯を貰おうとしている。ぴよぴよぴよぴよ。赤ちゃん鳴きが愛おしかった。小さなふわふわ。ああ可愛い。会社に行っている間は給餌ができないので、これからのことを考えてその子に決めた。即決だった。店員さんの話だとまだ飛べないそうで、100均でプラケースを購入した。可愛いぷーさんの柄のケースだ。飛べるようになったら、ケージにゆっくり慣らしていこう。そう思っていたのに、帰宅して落ち着くなりめっちゃ飛んだ。もうものすごく飛んだ。ホバリングも方向転換も下手糞だけど、でも飛ぶ。凄い。風切り羽はもう生えてきてるもんね。凄いね。可愛いね。翌日には鳥かごを買おうと決めた。

くるぴーさんの時の私は断然子供で、とても未熟で、だからできなかったことがたくさんあって、できなかったこと、してあげられなかったことが心の中にいつも積み重なっている。もちろん15年も生きたんだからセキセイインコ界ではとても大往生してくれて感謝もあるし本当に強くていい子だったけど、それでも私は後悔してしまう日がたくさんある。ぴよぴよふぁーむ(私は鳥の天国をこう呼んでいる)ではどういう風に生を受けて私のところに来てくれたのか、どういう気持ちでぴよぴよふぁーむに還っていったのか。最後を看取れなかった私をどういう気持ちで待っていたのか。あんなに甘えて、でも一緒に寝たり傍で過ごしてあげられなかった私を恨んではいないか。そればかりがいつも気がかりでしょうがないのだ。

一時期コツコツコツと骨壺から嘴で壺をつつく音が毎夜していた。夜ごとその音にまた恋しくなって泣いた。これはお別れなのかなんなのか。母もわからないと言っていた。ただただ「ありがとう」「ごめんなさい」「安らかに休んでほしい」「大好き」の気持ちを伝えて、心残りなく浄土への冥福を祈るように言われて、毎夜できるだけ伝えるようにした。そうして毎夜泣いて、49日を境に音はぱったりと止んだ。私はそれにまた泣いた。恋しくて愛おしくて仕方なかった。そこから一年。長いようで短い一年。私はずっと愛を求めていて、からからに乾いていた。15年は子供に換算すると、生まれてから中学を卒業するくらいの時の流れだ。

あの夏の日。私の中に突然入り込んで、生活を彩っていた愛。その愛を、私はまた一年越しで手元に置くことにしたのだ。もう後悔なく、愛の塊が快適に楽しく苦しみもなく私のそばで健やかに過ごしてくれれば。それが私の願いだ。そのためには、飼い主ともども、鳥自身にも頑張って覚えてもらわなければならないことがたくさんある。止まり木に止まるようにしたいし、そのまま待てをしていてほしい。鳥にとって危険なことが起こったりしたときに、私の一言で私の元に飛んでこられるように訓練する必要もある。もうとにかくあれもしたいこれもしたい。

そういうわけで一緒に生活を始めてもう3ヶ月。生まれてからは4か月ほど。あの頃の頼りなかったひな鳥は大きくなった。とりあえず止まり木に止まれるようになった。偉いぞ!可愛い顔してすぐに降りて近寄ってくるけど。まだまだ甘えたの盛りで、飼い主である私のことをとても大好きにカテゴリしているらしい。ああ可愛い。なにかしら毎日引っ付いてきて撫でてとアピールし激しく呼び鳴きをする。スマホを触れば怒られ、そしてとにかく無償の愛を私に振りまいてくる毎日。羽根も生え変わりつつあって、つくつくを撫でる感触が懐かしすぎて泣いた。もう心の中の全私が泣いてる。なにもかもが可愛い。からからだった私の生活に突如入り込んできた愛だ。それはそれはもう夢中にもなってしまう。ああもう永遠にこの愛を愛でるだけの生活がしたい。

最近は立派に完全な反抗期を迎えている。ちょっとしたことで飼い主は怒られるしかごの中で激しく暴れるし、この間はかごの中のおもちゃを落とした。可愛い顔して小悪魔め。ああ、やがてスーパーラッキーボーナスタイムが終了してしまう・・・人間に換算するとだいたい6歳程度なので、妥当と言えば妥当だが、とても寂しい。だってもうひなの頃の鳴き声はないし、あの頃みたいにいつでもなでなでタイムがあるわけでもない。ずっとべったりしてくれるわけでもないし、自我がはっきりしてきていて私は私、自分は自分という区分けを行っている。悲しい。え~んいつまでもかいぬちちゅきちゅきいっぱいちゅきちゅき(⋈◍>◡<◍)。✧♡ってしていてほしい。いや成長しても可愛いし、鳥の一番は私だという自信があるけど。

単純でそのくせ頭のいい生物。私よりも空の、高い高い世界を知る生き物。愛と送る生活の尊さ。幸福である。この愛の塊のような生物が最後の最後まで、快適に楽しく苦しみもなく私のそばで健やかに過ごしてくれればそれでいい。今日も私はそうして愛と生活を刻む。