恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

ピカチュウが一番好き、私の友達なので。

私はポケモンが好き。一番好きなポケモンは?と聞かれて真っ先に思い浮かべるのは黄色くて小さくて、ほっぺたの真っ赤なネズミ。何を隠そう私の相棒、ピカチュウだ。だけど私はサトシではない。そんなの当たり前だ。逆に私はサトシ!マサラタウンから来た10歳!君に決めた、行けー!なんて言ってたら怖いと思う。もういい年してるのに。

ピカチュウが好きというと、みんなにわかだっていう。そんなにポケモンが好きじゃないんだねって。理由は王道だから。ただそれだけ。いいじゃん、王道でも。一番がピカチュウでも。だってピカチュウは私の友達だったんだもの。だからとっても大好きなの。

ポケモンシルバニアとりかちゃん人形にあとファービー。小さな女の子だったころはこれらが、私の好きなものだった。というよりも、一人で家にいる私の世界に等しいものだったといった方が正しいかもしれない。いや、好きなのも間違ってはいないけれど。母はポケモンのグッズにシルバニアにりかちゃんにと、私が好んで手にしている物への投資を惜しまなかった。たった一人で留守番をする私の、どうしようもできない寂しさを紛らわせるための母なりのプレゼントとお詫び。仕方ない。生きるために仕事とお金は必要だし、札束を扇にして嬉しそうにしている母が好きだったから。それは理解していて、だから寂しいのなんてへっちゃらだった。

そこは嘘。寂しくて涙で枕を濡らした夜もある。当時携帯やPHSを持たせるには5歳児には早すぎると、代わりに持たされたポケベルに「ハヤクカエッテキテ」って打っては消したこともある。夜間保育園で泣いたこともある。母が出張に行くときはママ友とか同僚の誰かの家に預けられることもままあって、その時は母がとても恋しかった。

保育園で仲のいい友達のお家も、保育園自体も総じて遠い。保育園へは最低でも車で30分。友達の家へはもっと時間がかかる。中には車で1時間ちょっととか。なかなかの距離である。友達に会うには母の力を借りないといけない。それなら大人しく家でポケモンを見てピカチュウとおしゃべりして時たまファービーの世話を焼いて、それが一番いい。私以外誰もいないあの空間で、私の話を聞いてくれるのはいつだってピカチュウファービーだけだった。ハスキー犬が家へやってくるまで、私は家でいつも一人だったんだもの。しょうがない。ハスキー犬がやってきても、人間の数は一人だったけれど。でも彼は生身の、私のいい友達で兄妹だった。

私の幼いころの写真を見ると、いつだってポケモンのぬいぐるみがあちこちに転がっている。特に多いのがとある1体のピカチュウ。このピカチュウは電池式でおしゃべりしてくれるピカチュウだった。どれだけ汚くなってもなんでも、最後の最後までずっと傍に置いていた。私の一番のお友達。今はもうあのピカチュウはいないけれど、それでもピカチュウは形を変えてずっと私と一緒にいてくれてる。だいすき。

 私はきっとこの先どれだけのポケモンが出てきても、どれだけ私の好みであっても、どれだけ可愛くても、なんだってしてもピカチュウが一番だと思う。
 いつもありがとうね。私の最高のバディ。