恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

ブスって呪い

私は昔、めっちゃいじめられっ子でした。なんだ突然って感じだって自分でも思ってるけど。とりあえず最初に言っておこうと思って。でもいじめられた過去はどうにもならないし、いじめられたのは人生の汚点だ。
だって、その前の私には到底戻れない。あの頃の、いじめられる前の私はもう死んでしまったのだ。それで私はぶすだなんだと思っていた。思っていた、というか思っている。だから自己肯定感が著しく低い。

可愛くなりたくて、でもそんな気力はとうに失われてしまっていた。だから自分が着ても違和感のない服装、自分の顔に違和感のない化粧、自分の骨格を隠すための髪型を常にキープして生きてきた。
それでも自分はぶすだと思っている。怖い。他人に何を思われているのか分からなくて辛い。

時々、「自分は可愛くなることができた」という理由で「整形なんかしなくてもダイエットで変われます」とダイエットのアドバイスを押し付けられることがある。死ぬほど苦手だ。そんなの、私の方が押し付けてくるあなたより、多くの情報を持っていると思っているからだ。ブスだと思ってるから美容健康ダイエットに関しての情報収集には惜しみなく時間を使う。日常のルーチンワークだ。

「ブスは努力が足りない」「綺麗な人はみんな努力してる」と言われたことがあるが、実際のところ「綺麗な人にもブスにも努力してる人は同数いて、けど綺麗な人の方が結果が表に出やすい。だから努力している事を多くの人に知られやすい」のだ。
「ブスは努力してないだけ」だなんて、他人の限界値も生活も知りもしないで、ただただ怠惰な人間だと蔑んだりしてほしくない。

正直なところ努力でみんな美人になれるというなら、みんな悩んでいない。整形だってしない。もし努力だけでいいなら、私は今まで勉強してきたことを元に普通にライザップ的な会社を立ちあげる。いいタイミングで私は今ニートだ。会社を立ち上げる時間はいくらでもある。そしてそれをAmazonをも超える世界的大企業に育て、 私は億万長者に。そのうち驚異的なスピード長者番付に載るだろう。なのでそのお金で全身整形して、全身エステもして、身も心もツヤツヤに、劣等感も吹き飛ぶほどの美女に変身する。絶対そうする。

でも現実はみんなが綺麗になるよう努力を続けて、たくさんの工夫を重ねて、それでも足りないから整形して、どんどん自分を磨いていくのだ。だって努力ではパーツの位置関係は変わらないし、医学的に可能な範囲を超えて骨を削れない。

「大人になれば性格重視になって美人とブスの差なんてなくなりますよ」という謎の励ましを貰う時もあるが、たとえ将来外見の優先度が下がって美しさに価値が無くなったとしても、今この時、自分自身がブスと言われて傷ついた記憶や私の持つ劣等感が消えるわけじゃない。
全く以ってそういう問題じゃないのだ。

とにかくこの劣等感、ブスという感覚が永遠に消えないのだ。辛い悲しい。これだけで自分のことが好きになれない。しんどい。悔しい。

最近観た映画で「アイフィールプリティー」というのがある。この映画を見たところで私の骨格は変わらないけど、でもなんだか少しだけ元気を貰えた。劣等感だってなにも消えないけど、楽しくなるからとりあえずブスの呪いにかかっている人に見て欲しい。少なくとも、私は少しだけ救われた。

呪いにかかっている全人類に幸あれ。