恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

#下手な勘違い女より男だけど女装した私の方が絶対可愛い

先日レイヤーさんがハッシュタグをつけてTwitterにかわいい女装写真を投稿していた。写真を見てああ。かわいいなぁと思ったけれど、ハッシュタグをよくよく見ると彼本人の厭らしい自意識と内面の醜さがひたすらに目立った。

 

「#下手な勘違い女より男だけど女装した私の方が絶対可愛い」

 

このハッシュタグ一個。たったこれだけで、グロテスクな本音と差別意識をぶちまけすぎちゃった☆という印象が強く目に焼き付く。投稿した本人は現在アカウントに鍵をかけているようだ。炎上するとは思わなかったのかもしれない。

「勘違い女」という言葉は暴言だ。言葉の暴力は時に人に癒えない傷を与える。言葉には力があるのだ。それも強い力。だからいったん口から出てしまったらなかったことにはできない。どんな素敵な言葉も言葉が足りなかったり、一つ余計な事を言えば失礼で不快なものになる。本人はそれをわからずに、無意識下での差別意識が「女装した私の方が絶対可愛い」と言わせたのかもしれない。彼の「女性は可愛い格好していれば評価される」と言っているに等しいこの発言に、差別意識ともいえるものを読み取り、そして見る見るうちに嫌悪感へと繋がっていった結果が今回の炎上だと思う。そして自分への思い込み、過大すぎる自信と評価。これは「男を知る自分のほうが上手く女性になれる」と、女性を見下したうえで女装をしているのだ。女性への偏見も甚だしい。もちろん男性にも大いに失礼だ。

 今回、本当に彼を可愛いと私は思った。たとえそれが加工だらけでもなんでも、かわいいと感じたのには違いない。だから純粋に「私可愛いよ」って「可愛いから見て」ってそう言えればよかったのだ。あのタグを使う理由なんてどこにもなかった。本当にこれはとてもグロテスクだ。だって彼には胸はない。パンパンに膨らませた胸の詰め物も、邪魔だと感じたらすぐに取り外せる。普段はないものだ。職場でパンプスや化粧も強制されない。経血が漏れて服に染みができてないか常時気になり、夜道や電車でなにもされないかと不安に襲われた事もない人。彼はそう言う性別の人だ。そして彼は女装レイヤーで、だからフリルはファッションと同義。そういう感覚でタグを使用したし、問題ないと判断したのかもしれない。バズる、くらいのことは思ったかもしれない。きっと普段は「男性の格好」としてパンツスタイルで仕事をしているだろう。でもよく考えてほしい。女性は胸や生理だけはどう頑張ってもファッション感覚で着脱できないのだ。社会からは化粧をしていないとマナー違反、スカートやめたり脱毛やめたり装飾やめたりすると「女捨ててる」「ブス」「女として終わってる」「こんな人とは付き合えないな」なんて言われる。特に男性に。そして女性は一歩外に出れば痴漢や盗撮のリスク、セクハラ・マタハラ他にもいろいろ、男性だと受けなくてもよかったはずの仕打ちを受ける。そんな人に「下手な勘違い女」なんて踏んづけられて、「女装した私の方が絶対可愛い」だなんて自画自賛のための材料にされるのだ。自分を誉める時に他者を踏む必要なんてない。女性と同じ土俵に立っているだなんて思わないでほしい。あなたはただの勘違い男です。趣味で好きな時に好きな記号だけ身に付けて楽しんでいるということを忘れないでいてもらいたいし、これは炎上して当然である。でももし彼が 「下手な女より男だけど女装した私の方が絶対可愛い」というタグで写真を投稿していたなら、ここまで炎上せずに済んだと思う。きっと、少し失礼だな程度で終わったはずだ。

 最近、性自認性的指向とはまた別で男性がかわいいものを好きでいていい、という傾向があるように感じる。確かに変なことでもなんでもない。誰が何を好きでいるのかは、自分で決めていいことだ。他人に決められることじゃない。だから誰が車を好きでも構わないしフリルやスカートを着てても良い。それを好き!可愛い!と思うこともそう言うことも問題ない。だから車は男の、フリルは女の、なんて決めなくていいはずだ。それでも誰が何を好きなのは変でもなんでもないと言いながら、女性が「車が好きで・・・」と車を買えば批判や妬みが殺到する。誰でも好きでいていいなら、それはもう男のものとか女のものとか関係ないはずなのに。そして性別は性別であって、ファッションではない。一度そうと決まって生まれてきたのだから、基本的には選べない。だから男性を「男らしいという呪縛」から解放しながら、同じ手で「女性らしさ」の後天的役割を再生産するのは非生産的な行為なのだ。

 

 そろそろ怒りのほかに私怨も入りそうな勢いなので、ここらへんで気持ちよくこの記事を投稿することにする。

 最後に。今よりずっと女性差別のひどかった時代に、ゲーテの方がきっと女性性の心理を知っていたのかもしれない。

 

 

女は決して自分の自然な姿を見せない。

なぜならば女は、自然から生みつけられたままでもきっと人から好かれるものだ、

といういうふうに考えることのできる男ほどのうぬぼれがないからである。—ゲーテ