恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

私の最後の1日は復讐がしたいです。

いつも「明日が地球最後の日」を考える時は大切な人たちを思い浮かべて、1日中どうしようか悩むのに、「明日が自分最後の日」を考える時はしっかりと死を意識するし、そうなると真っ先に出てくることは復讐だ。
やり残したことは山ほどあるし、やりたいことだって山ほどあるのにね。

私の最後の1日という「死」を意識するときに思い出すのは、いつももう2度と会いたくない人達のことだ。
そうなると、ついつい復習のために刺殺したくなってしまう。
誰よりも大切人に愛や感謝を伝え、ドラマのように美しい最後を夢見る、そんな純粋な人間でありたかった。
そう願いながら物騒な事を考えてしまうのは、単純に私の育ちが悪いからだ。
生まれはいいが、育ちが悪い。分かっている。

私はいじめられっ子だった。
小学校3年生から中学2年生まで、ずっとずっと虐められていた。
暴力、暴言、嫌がらせの毎日だった。
きっとみんな転校生をからかうような『軽い気持ち』で始めて、悪気はなかったと主張するだろうしなんなら忘れているだろうね。
だっていじめが始まった原因は「お前、転校生だろう」の何気ない一言だったのだから。

トイレに閉じ込められるくらいならまだ可愛い。
死ねと言われることにも慣れた。
教科書やノート、机への落書き、ページが破られているのは日常茶飯事。
もちろんこれはエスカレートして、最終的に私物は毎日ゴミ箱に入れられていた。
ゴミ箱から私物を取り出してる時に押されて、頭からゴミ箱にダイブしたこともある。
今思うと、ゴミ箱から私物を拾う様が汚くて面白くて、私ごとゴミ箱に捨てたくなったからなのかもしれない。笑える。
でも物が捨てられるくらいなら平気だ、燃やされたり破られたりしなければ。
殴られても顔や腕や脚以外ならばどうでもよかったし、刃物を向けられても怖くはなかった。
脅すために刃を向けるくらいなら、もういっそのこと殺して欲しかった。
そしたら末代まで呪いに行くのに、とさえ思っていた。

いじめが始まってから、心が壊れる音がずっと聞こえていた。
早く死にたくて仕方なくて、覇気のない死んだような顔をしていたと思う。時々ヒステリックに叫んで自傷する以外は、大抵が静かなものだった。
楽しいことなんてひとつもなくて、生きがいは唯一ペットのセキセイインコだけ。この子のために、私は生きなければ。それだけだった。
だから自衛のために感情は捨てた。本に逃げ込んで、12歳で太宰治を読み耽り、片手間でドストエフスキーを読んだ。
そんな学生生活だった。

そんな学生時代、私の夢は童話作家だった。
きっかけは単純で、幼い弟を寝かしつけるために童話を作るのが楽しかったから。
それで、文学賞に応募しようと童話を書いていた時期がある。原稿用紙に直書きで。
現国の先生に推敲してもらうために、定期的に学校に持って行き、先生にアドバイスを貰ったりしていた。
最終的にクラスメイトに見つかって、原稿用紙と資料をどこかに捨てられた。燃やされたのかもしれない。
意地悪いのが、全て捨てられていたなら諦めもついたのに、物語の中盤10ページだけ無くなっていたりするのだ。
ページはバラバラになったし資料もごっそりと無くなり、努力が全て水の泡だ。
結局見つけられなくて、童話作家になる夢どころか小説を書くこと自体をその瞬間に諦めたし、原稿用紙もぜーんぶ捨てた。
でも今思えば、なんで原稿用紙なんかに直接書いたのか。頭が回っていなかったのかもしれない。本当に馬鹿だった。

そんな私は中学2年生の時に、クラスメイトにカッターを充てられた。首筋にぎゅっと。刃が冷たいことと、カッターナイフを持つ彼女の暖かそうな冬服の袖をよく覚えている。
そして死にたいなら殺してやると言われた。
頸動脈の辺りに刃の当たる感覚、バカなりに人を殺す方法を勉強したのかしら。じゃあカッターを引かれたら首が切れるんだなぁ。今死んだらインコどうしよう、そうは思ったけれど、別段怖くはなかった。
表情すら変わらない私に焦れた彼女は「今ここで殺されるか、私を殺してみろ」そう叫んだ。
ざわざわとした教室。何事もなく過ぎる日常。
見て見ぬふりをするクラスメイトに教室を出ていくクラスメイト。
あーあ。私は自分の持っていたカッターナイフをポケットから抜いて、彼女の首筋にぐっと押し込んだ。もちろん、充てたのは刃の背中だ。
私は彼女とは違う。覚悟のない人を殺したりはしない。気持ちが悪いから。
私のポケットには当時、文房具がたくさん詰まっていた。戦場ヶ原ひたぎに憧れた訳ではなく、筆箱を持っていくと、筆箱の中身が紛失するからだ。
酷いとシャープペンシルがトイレの中に落ちていたりする。だから、全部ポケットに入れる。頼れる人がいない中で、困りたくない。
カッターナイフを首筋に充てられた彼女は、面白いくらいに狼狽えた。私が大人しく殺されるとでも思っていたのだろうか。
私は殺される覚悟のあるものだけが、人を殺していいのだと思っている。だから、死ぬ覚悟もないのに半端なことしない方がいい。
そしてなぜ死ぬ覚悟もない彼女のために、私が死ぬ必要があるのか。
私はもうとっくになにもかもを諦めていたのに、彼女は私にいったい何を期待していたのだろうか。
もしかして情でもあると思われていたのだろうか。ただのクラスメイトである女に、なんの情を抱けと言うのか。
親愛の情か?馬鹿らしい。そんなものは私を何事からも守ってから言って欲しい。
だって彼女は加害者だ。そんな彼女がロマンチストだなんて、皮肉すぎるでしょう?気持ち悪い。

カッターナイフを首筋に充てられてからそう時間も経たないうちに、私は友人の計らいで、何の予兆もなく、突然に地獄の日々から脱出することとなった。
結局私の肉体は殺されずに生きている。心はたくさん死んだけれど。
さらに彼女と決別する絶好の機会は、私の過保護すぎる両親の手によって奪われた。
何度も何度も足繁く学校に通い、何もかもを言及し追求する父母。
学校には通わなくていいと諭し、傷だらけになった私の腕を優しく撫で、これ以上ないくらい甘やかされた。
誰も信じられない私に好きなものを好きなだけ与え、時々の保健室登校ですら完全送迎。
弟は不思議がっていたが、両親は「お姉ちゃんだからいーの」と諭していた。
好きな時間に起きて勉強し、少しだけ塾へ行く。体調のいい日は外に出て遊ぶ。もちろん、弟の相手もした。週末に家からものすごく遠い遠い公園に行き走り回るのだ。
そんな生活が半年ほど続いた。
中学2年生の冬。冬服のセーラーに身を包んでいた時期は前年の冬に比べて、遥かに短かった。
私を逃がしてくれた友人は、よく笑うようになったねと言って、嬉しそうに笑ってくれた。

最終的に私は母親の再婚に合わせて引越しをした。父が正式に父となる。引越し先は、父の故郷。県をいくつもいくつもいくつも跨ぐ大移動だ。
何もかもを、冬の、雪の大地に置いていく。
それでも、死を意識すると過去の記憶が不協和音となってうるさいくらいに響く。時々、夢にすら出てきて魘されもした。

引っ越す直前にやっと、自分のクラスに足を踏み入れた。そこでクラスメイトから貰ったメッセージカードや写真。そこには、いじめっ子たちがなんの反省もなく、頑張れよとメッセージを寄越しているのだ。反吐が出るかと思った。
ついでに言うと、不登校となった時に反省文のようなものは貰っている。でもそれだっていじめてごめーんね✩.*˚みたいな文章だ。あれは謝罪とも反省とも言わない。
なぜ私に何の謝罪もなく、日常を過ごせているのか。私は許したつもりなどない。まったく。これっぽっちも。
むしろ死んで欲しいとすら思っている。
なぜ私はそんな彼らを良しとしていたのか。今となっては分からない。

あの頃からずっと、心には傷が根を張っている。それも深く深く。
それと並行して、私は安定した持続的な人間関係が保てないし、大変に難しい。だから環境が変わる度に人間関係が全てリセットされている。友人は常に少ない。
ほかには、孤立感。無力感。攻撃性。衝動性。情緒不安定すぎる。これらは、私が次の虐待加害者になる要因にもなりうるだろう。
更には褒められても喜べなかったり、励まされてもやる気が出ないことも多い。これは脳の発達への障害だそうで、治すのは困難だそうだ。
私は過去だけでなく、未来まで彼らの呪縛の中にある。あの雪の大地から解放されたと思っていたのに、私は何も解放されてなんかない。未だに囚われている状態で、解放されたのは彼らだけだ。
今私が死んでも、彼らは私が彼らとの関係に満足していたと思うのだろう。
もしかしたら悼んでくれるのかもしれない。
それが無念で恨めしいのだ。
もし出来るのならば、「何を思ってしていたことなのか」「そもそも自分のやっていたことを認識していたのか」この2点だけは訊いておきたいと思う。とは言っても、もう二度と彼らには会いたくないけれど。

私は、彼らからの謝罪がほしいわけではない。
私の苦しみを少しでも味わってほしい。
少しでも罪悪感を持ってほしい。
もっと過激なことを言うと死んで欲しいし、間違っても、あらゆる私の幸せが彼らのおかげだと勘違いしないでほしい。
だって彼らがいたせいで私の人生が不幸になったのだ。
私の幸せに入ってなど来れないように。
そして、加害者という、この世で最も軽蔑する自分に成り下がらないために。

1度だけ、小説が捨てられる前に賛辞を貰ったことがある。クラスメイトの女の子だ。
彼女は真面目で、クラスの委員長をしているような子だった。
あとから知ったことだけれど、私のいじめを気に病んで色んなことをしてくれて、先生や私になにもしないクラスメイト達に声をかけてくれていたらしい。
私への嫌がらせが減るように、席替えの時もなるべく私をいじめない、助けてくれる人達の所へ、そう先生に進言してくれていたらしい。
その彼女が私に、私の目をしっかりと見て、私に賛辞と謝罪をくれた。

「すごいと思った。小説を書いているんだね。初めて知った。ほんとうに凄いね。貴方が小説を書いていたこと、全然知らなかった。実は小説ね、クラス中に回されてきてて、止めきれなくてごめんね。ほんとうにごめん。勝手に嫌だったよね。クラス中には、プライベートなものだから回さないように言ってはいるけど、でもごめん。それでね、実は私、読んでなくって気になるんだ。もし良ければ読みたい」

私のいない間にクラス中で回し読みされていたのが信じられないし、普段馬鹿だバカだと罵っている人間の書いたものを読むクラスメイトらの神経も信じられなかったし、誰のことも信じたくなかったのに、彼女だけは私を救ってくれた。
素直に原稿用紙を渡して、それをまるで宝物のように扱いながら1日で読んで、続きが気になるよと笑ってくれた。
何度もすごい、一気に惹き込まれる、面白い、そう言って続きをせがまれた。
本当に救われた。ありがとう。本当にありがとう。あなたのおかげで、私はまだ物語を作れています。
あなたの褒めてくれたあの頃に書いた童話はもう永遠に復元できないけれど、しんどい時に、あなたの感想を思い出すんだよ。
そして小説が捨てられたと告げた時の、どうしようも無い絶望を詰め込んだような表情を、私はきっと忘れない。
私と一緒に悲しんでくれてありがとう。もう書かないの?なんて何度も何度も気にかけてくれてありがとう。
私は小説が捨てられてから3年くらい経ってやっと立ち直れて、5年後に短編小説を文学賞に出しました。
もう2度と童話は書けないかもしれないけれど、小説や詩を書き続けています。

それから私を逃がしてくれた友人も。ありがとう。
今でも1番大好きです。
時々しか連絡しないけど。Facebookも時々しか更新しないけど。でも、私は元気でやっています。
あなたとあなたの家族が幸せでありますように。