恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

他人にすぐ“与えたがる人”って、要するに“欲しがってる人”ですよね

なんとなく昔のこと、と言っても4年とか5年くらいしかたっていないけれど。そのころのことを思い出して、感じること思うことがあったので文字に起こしてみた。

当時友達(だと相手は思っていたらしいが)になるために努力して関係を築いていた女に「恭弥は褒めてくれないよね。あたしはこんなに褒めているのに」って言われたことがある。それで「私もどこか褒めなきゃ!!!!!」と褒めるところを探して疲れる時期があった。当時は相容れないながらも、何とかうまくやろうとしていたし、仲良くなろうとしていたのだ。その彼女とはいろいろあってとっくのとうに絶交している。
今思うと承認欲求の塊ともいえるので非常に醜いし、他人に自分を預けてしまっている点が大変重たい。友達に対してまで西野カナかよってくらいの重たさ。ごめん西野カナ。アーティストとして好き。あと普通に結婚とかしてて幸せつかんでる姿も好き。

裏を返せばよく褒める人は褒められたがってるんだと思う。「あなたのため」を思ってあなたを褒めてるから私のことも褒めて。きっと本音はこうだ。
私の友達にひたすらものを与えたい人がいたけど、それってこれの延長かなって感じた。いや、考えたら原理は一緒だね。誉め言葉を他人に与えるか物質を与えるかどうかの違いしかない。
「与え過ぎる人」と「他人を喜ばせる人」は似ている、とはよく言ったものだと思う。

私ね。実は「あなたのため」って言葉ほど気味の悪い言葉はないと思っている。その先にあるのは見返りじゃないの?って。そもそも「あなたのため」っていうのがもう押し付けがましいよね。
人のために何かできることは立派だけれど、「人のために」を理由として何かができる人間ほど人のせいにする生物はいないからね。というかもしかしてだけど、「人のため」は免罪符に近いんじゃないかな。
「人のために」じゃなくて、自分が助けたいと思ったから、の方が断然気持ちいい。そしてそれは自己責任だ。自分がやりたかったから、という行動理由に他者からの見返りは入っていない。ありがとうが返ってきたら気持ちよくてうれしい、と思うくらいだろう。見返りのない事にも怒らなくて済む。
だから人に怒りながらあなたのためを思ってるよって泣く人を、私は気味悪がってしまうのだと思う。
大学時代のその彼女はまさにそういうタイプだった。

褒めてほしがる彼女は褒めてほしいがために思ってもいないのに私をかわいいと褒めて、それに対して自分なんて・・・と卑屈になったところで、私に褒めさせる。何なら周辺の人間や私と彼女の共通の知り合いや友人がいるところで褒めさせ、いやいやそんなことないと言わせていい気になる。
「褒めるから褒めて」はなんて押し付けがましいのだろう。
そして私が彼女を褒めないというだけで罵詈雑言のオンパレード。私の仲がいいと思っていた友達まで巻き込んで私の悪口を言い合い、あら捜しする、非常に性格の悪い大会が定期的に開催されることとなった。
胸糞悪い。

与えたがる人は相手の気持ちをコントロールしようとする心理を隠している、らしい。
「相手の気持ちをコントロールしようとする心理」といわれてもピンとは来ないし、単にサービス精神が旺盛な人なのでは?それがちょっと押しつけがましいだけで。と思っているが、でもその喜ばせたい相手が「そう親しい関係じゃないのに」というのがネックらしい。相手が親しい人であれば単にサービス精神が旺盛な人になるそうだ。
ではなぜそんなに親しくもない他人にすぐに与えたがるのだろう。褒めたがるのだろう。
与えることで相手の気持ちをゆるめさせよう、距離を詰めよう、ひいては相手より優位に立とうとする思惑が働いてる、というのだ。
もしかしたら人との関係の築き方がわからないから、過去にそういう成功体験があったから、だから人に与えて、距離を縮めようとしているのかもしれない。
だから喜ばれないとすごく不満になるのだろう。
そう考えると少しかわいそうだ。

でも、人、というより、関係によっては、
「何の下心があるのか」
「媚びているのか」
「これで機嫌をとろうとしているのか」
と受け取ることもあり、そしてそう受け取る人はある意味正しい。危機察知能力が鋭い。

「お近づきのしるしに」「手土産に」と、小さな物や消え物を贈りあうくらいはよくあること。しかしそれはそこで食べたら終わりだ。
与えるというのは、限られた関係だから許される特別な行為なのだ。

普通の人なら相手との関係性や距離感は無意識のうちに把握しているけれど、きっと彼女はそれが分からないのかもしれない。
だからそこで過剰に与えてしまうのだろう。
もしかしたら 一生、そのことをわからずに生きていくのかも。
ああ、悲しくて寂しい。