恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

生きている限りバッドエンドはない

 

 若手芸人徳永は熱海の花火大会で、ある男と出会う。男はお笑いコンビあほんだらの神谷と名乗った。徳永は神谷の伝記を書くという条件で弟子になり、神谷は徳永に笑いの哲学を伝授しようとするのだった。

 スパークスは深夜番組に出演したり、お笑い雑誌で小さく取り上げられるようになる。その頃神谷は大阪から東京に拠点を移していた。ある日徳永は神谷が多額の借金を抱えていることを知り、自身と遊ぶことで神谷の借金を増やさないように神谷と疎遠になっていく。やがてスパークスが出演していた漫才番組が終了すると同時期に、スパークスはコンビ解散が決定した。

 スパークスのラスト漫才では思ってる事と逆の事を言うと先に宣言しておけば、感傷に浸らずに思いきり本音をぶつけられるというネタを披露した。観客達の拍手を浴びて舞台は幕を閉じる。その後徳永も芸人を辞め、不動産屋に就職したのだった。

 仕事を終えて一人で飲んでいた徳永に、一年前に失踪した神谷から連絡があった。徳永が神谷の元へ急いで向かうとそこにはFカップになった神谷がおり、「徳永だけには、笑って欲しかった」と神谷は泣いた。そんな神谷を徳永は熱海へ温泉旅行に誘い、旅館でお笑い大会のポスターを見つける。神谷はネタ作りを始め、「とんでもない漫才を思いついた」と全裸のまま何度も飛び跳ねたのだった。

 

 火花/又吉直樹 第153回芥川龍之介賞受賞作品だ。正直なところ、私の火花に関する感想はずっと「つまらない」「面白くない」だった。文章も平坦で淡々としていて、引き込まれるところもない。けど多分火花が面白くないのは、私が芸人じゃないからだ。私の世界にはなじみがないから面白くない。だから話題になった瞬間に購入したものを何年もかけて読了にまでもっていったのも、ただの惰性だ。そこにあるから読まなくちゃ、的な。そう思って惰性で読み進めていたら、スパークスのラスト漫才で一気に引き込まれた。これは油断した。でも面白かったのはそこだけで、漫才シーンが終わったらまた最後のページまでまったく面白くなくなってしまった。それどころか読みながらずっとこれはほんとうに芥川賞受賞作品?純文学?という疑問まで湧き上がってきて、全く楽しめなかった。

 火花は売れない芸人徳永と先輩芸人神谷さんとの交流を描いている。笑いとはなんなのかを考え、しかし結局スパークスは解散して徳永は漫才師とは別の道に進んでいく。笑いとは何か、人間とは何か。これがテーマだろうと感じた。確かにテーマだけ見れば火花は純文学でもいいと思うし、そもそも芥川賞はあまりストーリー展開の面白さとかは問わない。純文学の賞だから。しかしながらこれが芥川賞をとるのはどうかと思う。やっぱり納得はいかないな。でもこれは芸人の又吉だから書けたものだと思う。私にはわかり得ない芸人としての苦悩や葛藤、焦燥感を細かく表していて、徳永は又吉本人がモデルなのかと思うくらいだった。

 とにかく火花は終始自分に関係ないどころか共感すらもできない話が続いて、ただぼんやりと「ふうん、へえ。そうなのね」と読み進めていると、スパークスの最後の漫才で空気が急に変わって一気に火花の中に引き込まれる。初めは徳永が舞台上で相方の山下を「天才」「ツッコミが上手い」と褒めるが、そのうち「文句ばっかり言って全然ついてきてくれなかった」「ほんま楽しくなかった」と叫びだす。それはやがていつも来てくれた観客への感謝になり、最後は自分の芸人人生や才能がない悲しみをあらんかぎりに叫ぶのだ。そのうちに会場は笑い声よりもすすり泣く声の方が大きくなっていく。神谷さんも劇場の一番後ろの方で泣いていた。そして山下が最後に「お客さんに全然感謝してません!」と叫んだあと「お前最低やな」と笑いで締めくくる形で漫才が終わる。徳永から普段は気恥ずかしくて面と向かってまっすぐとは言えないような本音を全力で心から叫ばれ、気づいたらいつの間にか観客になっていた。スパークスに思い入れなんて何もない。そもそも火花は終始徳永と神谷さんの話が中心に回っていて、漫才の話なんてほとんど出てこない。相方の山下なんてまるでモブのような扱いで、私が覚えている限りでは時々名前が出てくるくらいで作中でなにかしていた覚えがあまりない。情報も彼は徳永の相方だったとか彼女と同棲していて、妊娠が発覚して籍をいれたとかそれくらい。だから余計に引き込まれたと言える。かなり感動して、正直少し泣きそうだった。最後の漫才でこんなことされて、もし私がスパークス推しなら家に帰ってお気持ち表明する。多分帰路につきながらTwitterであらんかぎりに叫びまわり、家についたら真っ先にこのブログにお気持ち表明していたと思う。それくらいぐっと来た。今までつまらなかったからこそ、最後の漫才が引き立ったのかもしれない。本当にこの流れは圧巻だった。

 神谷さんは徳永が尊敬してやまない人物だ。常識に囚われないその笑いに魅了され、徳永は神谷さんの弟子にまでなってしまう。伝記を読んだことも書いたこともないのに、神谷さんの伝記を書くと二つ返事をしてしまう。その様は心酔という言葉が似合うのだろうか。徳永とは正反対だから魅了されたのかもしれない。そんな神谷さんは自分が面白いと思ったものを全力でただ我武者羅にやってしまえる、自分が面白いと思ったことを突き詰めていける人だ。だから火花の冒頭の漫才ではオネエ言葉で「天国に行くか地獄に行くか分かる。地獄、地獄、地獄」と観客を一人一人指さす奇想天外な漫才を披露する。神谷さんというかお笑いコンビあほんだらの漫才は作中でこれしか詳しく言及がないので、一般受けはしないような芸風なのかもしないと推測するしかない。でも神谷さんは作中通してずっと売れてないし、なんなら女性のヒモをしていたりする。そう考えると芸風がニッチな層向けで大衆受けしないのだと思う。徳永は神谷さんに憧れながらも、常識に囚われ大衆受けする漫才をしていた。でもそのおかげか一時期少しだけ売れて、ちょっといいマンションに住んだりしていた。

 しかし神谷さんは売れていなくとも徳永を可愛がり、結構な頻度で飲みに連れて行ったり自宅に泊めたりとよく面倒を見てくれる。これはすべて先輩である神谷さんのおごりだ。よくテレビで売れた芸人が下積み時代に先輩に飲みに連れて行ったもらったと美談のようにしているけど、これは伝統的な芸人の習わしなのかもしれない。芸人仕草的な。それで借金が1000万に膨らんで最終的に自己破産なんてしてるんだから、神谷さんは本気で本物のあほんだら。芸名通り。そうやってあほんだらだった神谷さんはなぜか後半で急に変わってしまった。神谷さんはそれまでは尖っていて、ただひたすら笑いを追求していた。赤ん坊にも全力で笑わせに行くと言っていたような人だ。でも後半は大衆受けを考えた。一般的な笑いについて考えてしまったから面白くなくなって、Fカップに豊胸するなんて奇想天外な行動に出てしまう。そして徳永に笑ってほしかったと後悔するのだ。

 神谷さんはきっと寂しかったのだと思う。自分が笑いを追求していくにつれ、どんどん孤独になっていくから。でもきっと何かを突き詰めていくと、人はどんどん孤独になる。だから神谷は東京に出てきた最初、居候をしていた女性真樹さんに依存していたのだ。その依存先であった真樹さんが離れた後は自棄になって、でもしばらくしたらまた別の女性に依存して居候をしていた。そして最後は徳永に依存する。もうそのころには正常な判断もできなくなっていたのかもしれない。それで失踪してなぜか豊胸手術でFカップにしたし、居酒屋で「徳永だけには、笑って欲しかった」と神谷は泣いてしまったのだ。神谷は自分が笑いを追求して孤独になる現実を直視できなかったのかもしれない。

 そうは言いつつも神谷さんは基本的には笑いにステータスを全振りしている。徳永の格好を真似た時もただ格好いいと思ったからだったし、笑い以外に関しては子供のように無邪気だ。それ故に神谷さんは熱海の温泉で「とんでもない漫才を思いついた」というだけで、自分がFカップであることも忘れて飛び跳ね美しい形の胸を揺らす。きっとFカップで客が漫才に集中できないことも事務所をクビになったことも「とんでもない漫才を思いついた」だけで、この時の神谷さんはすべて忘れて去ってしまっているに違いない。以前徳永に語って見せた「生きている限りバッドエンドはない」「芸人に引退はない」という自らの言葉を、神谷は自身の身一つでこの瞬間に証明したのかもしれないと思った。

尾形百之助を考える①

 金カムを読んだ。私は気づいたら尾形に狂っていて、時々尾形百之助のことを考えている。これはいつだかの雲雀恭弥以来の愛と衝撃かもしれないと思う。多分初めて、寿命以外で死ぬタイプの推しができたというのもあるかもしれない。今回は金カムがどうのというより、尾形百之助君への愛を存分に綴ろうと思う。

 タイトルにもあるように、「尾形百之助」についてとにかく考えていく。まずは尾形の名前から。尾形百之助の、人生最初の祝福について考えていきたい。私的に名前は人生の始まりと思っている人間なので。

 百之助の「百」は数がとても多いことを表す際に用いられるため、様々な願いを込めることができる名前になる。また百之助の「之助」はもとは大宝律令に定められた、位の上下に由来する官職の名前だ。当時これらは階級を表していたけど、後に人名に用いられるようになった歴史がある。もとは官職の名前だからか、人名に用いられるようになってからは家の後継者、それこそ長男に付けることが多かったらしい。そういった背景もあってか、日本人の名前は意外と官職に由来するものが多い。尾形の生きた時代には、すでに人名に用いるのがポピュラーになっていたのではないだろうか

 ちなみに大宝律令には「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」と4つの官職名がある。現代日本で名前として最も残っているのは「すけ」かもしれない。当時は役職ごとにそれぞれ官職があったため、例えば京職では左京之介、右京之介とか神官職でいうと大輔、少輔、という風に「輔」「介」「助」「丞」「亮」と漢字もたくさんあるのだ。

 ここで気づいたことがあるけれど、鯉登家の「平之丞」「音之進」もきっと由来は同じだろう。幸次郎と鯉登平二は同郷で、また互いに家柄、階級もある。それゆえに2人とも官職由来の名を付けていると考えると、「平之丞」「百之助」「音之進」は官職の名前だ。「勇作」を並べて見たときに、「勇作」は少し響きや見た目がが異端である。つまり尾形百之助が生まれた当初は、尾形は嫡男の位置づけだったのではないか。しかしもし「百之助」という名前を母・トメが付けていたとしたら、また違う話なる。それは尾形百之助を嫡男にして欲しいとか、なんかそういう願いが込められていることになるからだ。ただ私は勇作が生まれるまでは幸次郎はトメのところに通っていたことを踏まえると、百之助という名前は幸次郎が付けたのでないかと考えている。幸次郎も正妻・ヒロとの間に当時は子供もいなかったわけだから、百之助を嫡男にという考えも正直あったと思う。己の血を引いた初めての子供で男児が生まれたとなると、幸次郎も素直に嬉しかっただろうし。というかそうであってくれ。お願いだから。

 しかしどうして勇作には官職由来の名前を付けなかったのかは疑問ではある。ヒロさんの希望だろうか。とはいえ勇作という名前も、「勇を作る」で大変軍人然としているけれど。

 明治大正期はお妾さんの存在は批判的になってきた時代で、世間の目を憚りながらも通うのがマナーだった。その割に当時はお妾さんも妻と同じく、夫からすると二親等とされていたようだけれど。これは正妻からしたらたまったものではないなと思う。更に完全に妻妾制度が廃止されるまでは、お妾さんの産んだ子は戸籍上「妾腹○○」と届出する必要があったという。当時でも生まれた子供の認知は必要だったようだ。つまり尾形は戸籍上「妾腹尾形百之助」と届出されていることになる。きちんと認知されていたとしたら、父親はどこからどう見ても正真正銘花沢幸次郎なんだな。とはいえ当時妾腹の子が嫡男になるためには、正式に本家の跡取りである必要がある。それこそ正妻との間に子供ができないとか男児が産まれないとか、または正妻との子供がなにかしらの理由で死亡した場合とか。なのでもし幸次郎が百之助を嫡男として据え置こうとしていたのだとしたら、幸次郎はヒロに相当な仕打ちをしていることになる。妻に石女だと言っているようなものだ。もしそうな意図がなくとも、ヒロに対してお飾りの妻であると突き付けていることになるのではないか。もし百之助を本当に花沢家の嫡男になっていたとしたら、それはヒロの目にはどう映ったのだろうか。

 けどそうなると不思議なのが、幸次郎の急な方針転換だ。ヒロが勇作を身籠り出産したら、途端にトメのもとに通うのを辞めてしまった。花沢家は軍人家系だ。戦死する可能性があるから、息子はいくらでも欲しいのではないだろうか。また一人でも出世すればそれが一族の繁栄に繋がるわけだから、やっぱり一族は軍人となる息子がいくらでも欲しいのではとも思う。勇作が生まれるまで、ヒロには一族から男児を望む声や圧力があったはずだ。そんな中で生まれた百之助はもうだれが産んだかとか関係なく、吉報であったに違いない。例え幸次郎の懇意にしている芸者であっても。それが勇作が生まれると、途端にトメのもとに通わなくなるのだ。本家の男児が生まれたからというのもあるだろうけど、でももしかしたら幸次郎は人目も憚らずに、トメと百之助のもとに通っていたのかもしれないなと思う。それこそ誰かに提言されていたかもしれない。そんな中でヒロが勇作を身籠ったとしたら。正妻・ヒロが由緒正しく華族の娘だとしたら。ヒロにトメのことを指摘されたら。もしヒロの家柄が幸次郎よりも上位だったら。幸次郎はトメのもとに通うのを辞めざるを得ない理由になったかもしれない。お妾さんとその子供というのは世間からすると暗黙の了解なのだから、それが当然の流れといえるだろう。

 あとTwitterでたまたま見かけて恐怖にかられたのが、幸次郎が百之助と勇作をすり替えたのではないかという説だ。つまり尾形百之助の本名は花沢勇作で、花沢勇作の本名は尾形百之助ということになる。だから幸次郎はトメのもとに通わなくなったとすると、それもすんなり納得できる。しかも鶴見の言う「花沢中将の死後、尾形を祭り上げて」の意味にもはっきりと繋がってくるのだ。鶴見が「花沢中将の父上も軍人」で「百之助は優秀な軍人の血統だ」と言う通り、例え山猫の子と噂されようとも尾形は優秀な軍人と周囲に評価されている。それが本当の花沢中将の息子だったのならどうなるだろう。百之助は正真正銘の軍人家系で、正当な後継者ということになるのだ。顔も百之助の方が幸次郎に似てるし、なんか説得力あるな。ただもしそうだとしたら悲しいなと思う。尾形は勇作を撃ち殺した時、自分自身を殺したことになるから。

 もし本当に百之助と勇作がすり替えられていたとしたら、トメの発狂と悲哀もよくわかる。従来より妾腹を本家に迎え入れるには、子供だけを引き取ることが多かったらしい。なのでトメとしては我が子を奪われた上に、手元にいるのは幸次郎の妻が生んだ男児ということになるのだ。しかも幸次郎似の男児だ。本当の我が子と会いに来ない男を待つだけの日々は大層辛いことだろう。

 もしすり替えたとしたら、それはなぜなのか。正妻がいる限りは、お妾さんはいつまでもお妾さんだ。幸次郎はそれがどんな結果であっても、百之助を嫡男として育てることでトメへの誠意を表したかったのかもしれない。現代に当てはめるとすると、トメに誠意尽くそうとしてヒロにもトメにも酷いことをしている。もしかしたらトメとヒロに愛想をつかされたり、酷いと離婚だとか訴えられたりするのではないだろうか。現代的な感覚は「1人の女性に誠心誠意尽くす」ものだと思うから、本当によかったね幸次郎。そこが明治時代で。

 でも私はきっと勇作は正妻・ヒロの子で、百之助はトメの子だと思う。そうじゃないと辛い。百之助がすり替えられておらず本当にトメの子だとして、ではなぜ幸次郎を永遠に待ち続けてしまったのだろうか。当時のトメはきっととびきり美しく若い。トメには幸次郎を待つ他にもきっと幸せになる方法もあったのに。

 恐らくだけど、きっとトメは複雑な家庭環境だったのではないかと思う。昔はこれ以上子供が出来たら困るときは子にスエ、トメ、マツと終わりの文字を名前に入れて、これ以上の妊娠を避けようと願掛けをしていたのだ。もしかしたらトメはそういう子沢山であまり裕福ではないような、複雑な家庭だったのではないか。芸者ということは、過去に廓に売られたのかもしれない。そうするともとは庶民で今は芸者という身分のトメにとって、幸次郎は確実に好条件の男だ。例え妾でも身請けしてもらって子供でも産めたら、廓で働き詰めの生活よりはよかったのではないだろうか。もし幸次郎がトメにたくさんの未来を約束していたとしたら。それが何1つとて守られることがなかったら。幸次郎に正妻との子供が生まれたことを知ったとしたら。トメが廓にいるより幸次郎といたいと希望を持っていた場合、それは発狂する理由に十分なり得るだろう。

 ねぇ、尾形。どういう思惑があろうとも、生まれた時の尾形は確かに愛されていたんだね。ねぇ。尾形の名前は名前そのものがまず祝福だよ。なのに幸次郎のせいで尾形だけではなくその周辺にまで業が積みあがってしまって、アンバランスで、どうしようもなくなってしまったのかな。だから区切りの「百」の字をもつ百之助が綿々と続く業を断ち切って、最後に山猫の死として昇華されたのだろうか。尾形百之助辛い。好き。

PS
なんとなく尾形と勇作さんの名前をhyakunosukeとyusakuにして、さらにそこから尾形から勇作さんを引いたら出てきたのがhonkeで、つまり本家になりました。もしかしてもしかすると尾形が「花沢勇作」で勇作さんが「尾形百之助」とかっていうすり替えの可能性があるの?怖い。

とりあえず避難することになったとき用のメモ

■おすすめ避難装備
・キャップ
・アウター(UNIQLOのブロックテックパーカーとかだと尚良し)
・ノンワイヤーブラ
・インナー
・Tシャツ
・アウター予備
ジーンズ
・靴下
・スニーカー
→着ていく。
 身に着けて歩くと持ち運びの荷物が減るので。
傘もあると便利。

貴重品は小さな鞄やサコッシュに入れて、お腹やポケットに入れる。
現金、通帳、身分証、保険証はマスト。
タオルにくるんでおくと濡れないし枕にもなる。
どこへ行くにも持っていこう。


◆普段から持ち歩きしているといいもの
 水500ml
 ペットボトル対応型簡易浄水器
 簡易救急救命セット
 カロリーメイト
 タオル
 筆記用具
 身分証
 飴ちゃん

 


■初期避難用(3日分程度)
◆避難時に必要なもの
 縄はしご
 ヘルメット
 ヘッドライト
 ロープ
 防犯ブザー
 災害笛
◆持ち出し袋
 水500ml×2本
 小型浄水器 500ml対応型
 アーミーナイフ
 ガムテープ
 防塵ゴーグル
 市内地図(スマホ使用困難時に備えて紙にもの)
 浮輪か救命胴衣
 現金、通帳、身分証、保険証
 小型ソーラー型4口モバイルバッテリー
 手回し発電型テレビ付きラジオ
 食料品(入れ替え時に食べてみて、美味しかったものだけで構成)計10食
 救急救命用品
 ナプキン等の衛生用品
 トイレットペーパー1巻
 タオル3枚
 ビニール袋
 ブランケット(アルミブランケットが良い)
 夏は使い捨て冷却材、冬は使い捨てカイロ
 簡易トイレ
 マスク
 軍手
 合羽

 

■中~長期(1日2食で最長1.5~2ヵ月持ちこたえられる)
◆自宅の場合
 ポータブル電源(Jackery700が今のところよい)
 ポータブル電源用ソーラーパネル(Jackery Solar saga100が今のところよい)
 カセットコンロ
 ローリングストック備蓄食料、栄養補助食品
 水2L×6本 500ml×12本
 小型浄水器(KATADYNCOMBI 5万L対応)
 簡易トイレ
 トイレットペーパー6巻ストック
 衛生用品
 寝袋(冬の停電対策)
 小型スポットクーラー
◆避難所の場合 
 簡易テントと中敷きマット
 着替え
 ドライシャンプーと石鹸
 洗濯石鹸
 ロープ 
 紙食器
 ラップ 
 カトラリー
 簡易調理道具
 ローリングストック備蓄食料、栄養補助食品
 感染症防止対策用品
 筆記用具
 乾電池
 ランタン
 折り畳み給水ポリタンク
 折り畳みバケツ
 ゴミ袋
 現金、通帳、身分証、保険証
 水2L1本、500ml1本
 浄水器
 カセットコンロ
 トイレットペーパー
 衛生用品
 寝袋(冬の停電対策)
 小型スポットクーラー
 電気鍋
 ポータブル電源
 ソーラーパネル 

★ひなちゃんのご飯、お水、キッチンペーパーをストックしておく。

洋服は下着とインナー、トップス、パンツ類を1つ1つ分けてまとめておく。
紛失や見失い防止に。
バックパックはキャンプ用とか雨風に強いものが良い。

◆あると良いもの、できると良いこと
 避難所設営
 運営マニュアル
 ドローン
  ∟これに合わせて国交省新基準ドローン資格
 防災士、救命救急講師資格
 ボディシート
 ウェットシート
 ティッシュ
 アイマス
 イヤホン
 電源のいらない娯楽

夏の不調はハーブで癒そう

 暑さ厳しい季節がやってきました。じめじめとした高温多湿が日本の夏の特徴です。気象庁の7月~9月の3か月予報でも、「今年は暖かい空気に覆われやすく、気温は北日本、東日本、沖縄・奄美で高く、西日本は平年並みか高くなる見通し」と発表されていますね。例年にも増して、熱中症をはじめとする暑さ対策が欠かせない夏になりそうです。

 暑さが本格化し湿気がいっそう増す長夏にむけて、ハーブで心と身体のお手当をしていきましょう。最近はタイ古式のハーバルボールも、手軽に作って楽しめるので人気です。主に使用するハーブとして、以下のものをセレクトしました。下記のハーブは基本的なものなので、お好きなハーブを体調に合わせて調合して楽しいかもしれません。

・プライ
ポンツクショウガとも。身体を温め、血行促進の作用が高い。生理不順緩和、殺菌効果、体内のガス排出、筋肉の緊張緩和、痛みや腫れの緩和などが期待できる。タイのハーブボールにはほぼ必ず入っているらしい。

レモングラス
身体を温める作用あり。香りはドーパミンの分泌を促す。生理痛や冷え性の改善、筋肉痛や高血圧にも良いとされている。

・こぶみかんの果汁、皮、葉
身体を温めて血行促進する作用があり、生理不順・つわり・吐き気などに良いとされる。また乾燥肌や肌荒れ、アトピーの改善や、血行促進、不安・ストレ・不眠解消にも。

・ガジュツ
皮膚につやを与える。抗菌作用あり。

・ウコン
皮膚につやを与える。抗菌作用、排毒作用もあるため、虫刺されやかゆみにも良いそう。

・シナモン
身体を温める作用あり。

・セージ
香りによるリラックス効果あり。

・コウリョウキョウ
エネルギーを高める。皮膚アレルギーの緩和が期待できるとも。

タマリンドの葉
鼻づまり、咳に効果があるとされる。強壮、収斂作用も。

・アカシアの葉
外傷の治癒促進やフケ止め、痰の解消などに良いとされる。

 体調に合わせてお好きなハーブを調合したら、ハーブを2.3日吊り下げるか、風通しの良いところに置いてドライにします。それを綿の布の真ん中に置いて、丸めて紐で縛りましょう。そのあとは布ごと水に浸し、電子レンジ600Wで1分ほど温めます。適温になったら顔や体、手足にポンポンとあててみてください。乾いたらもう1度濡らして温めると、数回は楽しめます。

 ハーブの効果とじんわりした熱で身体もこころも緩むはず。これで体を整えて、今年の夏も乗り切っていきましょう。

お姫様でいたい私と、私をお姫様扱いする彼。

 私はお姫様でいたい。いつでも褒められて大事にされていたい。きっとそれは幼少期のどうしようもなく積もりまくった不満や不安、願望の塊がそこに出ていて、私は誰かにでろでろに甘やかされたいと思っているからだ。あの時から置いてけぼりにされて大人の顔をしないといけなくなった、ずっと泣いている子供の私を子供に戻してほしいと思っているのだ。

 本来であれば、そんなのはとっくの昔に終わっていなけばならないはず。いくらなんでも恋人に求めるのはナンセンスだろう。恋人は私の父親でも母親でもない、私の恋人だ。それでも抑えられなくて子供の私が顔を出して泣いて、認めて褒めて大事にしてと騒いでしまう。そのせいで彼に時々「ちょっと承認欲求が酷いよ」と注意されるので、子供の私は大層傷ついてしまうのもいただけない。大人の顔をした私はただごめんねと謝って笑うが、正直綺麗に笑えているかはわからない。その時の恋人は大抵とても面倒くさそうな顔をしているので、もしかしたら笑えていないのかも。

 まぁ有り体に言えば彼は面倒なのだ、私という生き物が。というか、そもそも彼は女嫌いだから当たり前と言えば当たり前なのかもしれない。そして女体が好き。女体は最高。気持ちがいい。女体への愛もある。好き。

 前に恋人に「女の子嫌いなのに、どうして私と一緒にいてくれるの?面倒ではないの?」と聞いたことがある。恋人は笑って、「確かにあなたは面倒くさいよ。面倒くさくてうぜー。なんだこいつって思うこともあるし、治してくれって思うこともある。でもそれも含めてあなただし、あなただから許せる。他の女の子なら絶対に許せないし、今までもそうだった。面倒ってわかってるけど、やっぱりあなたが可愛いくて好きで愛してるから一緒に居たい」と言葉を選んで、私にゆっくりと真っ直ぐ気持ちを伝えてくれた。面倒な私と一緒にいるために、その面倒を飲み込んでいるのはかなり譲歩しているといえよう。嬉しい。

 恋人が私をどれだけ面倒な、それこそきっと世界一面倒な生き物と認識して私を扱っているのを知っている。しかし反対に世界一可愛いくて、どうしようもなく愛おしい生き物として認識していることも私は知っている。私のこともきっと嫌いなところがたくさんあって嫌だけれど、けれどある意味ではアイドルとか、宝箱の中身とか、貴重品みたいに思われていることも知っている。女体が好きという概念すらも、私への好きだけで無視できるという。私だから。ただそれだけで。愛だなと思う。以前「愛だね」と言ったらそりゃそうでしょよと自信満々に帰されたのに笑った。すごい愛だ。恋人にとって私は世界で一番お姫様なので、それはそうか。

 とはいえ、私は現時点でお姫様とはいいがたい人生を送っているので、まずは自分で自分をお姫様扱いして生きていこうと決めました。私はお姫様になりたいので。思い込みは大事なので。まずは見た目から。行動習慣は1ヵ月で変わるらしいから、何か新しい習慣でも取り入れて見ようかな。まずはダイエットとか。

僕の家にはオチョナンさんがいます

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 道路に転がっている目玉を踏み潰して、車が走っていく。車には両親と兄、そして幼い陽子が乗っていた。鹿野一家が富沼市に引っ越してきた夜、停電に見舞われる。懐中電灯であたりを見回すと、そこにはオチョナンさんがいた。そして陽子以外オチョナンさんに殺されてしまう。以来陽子には様々なものが見えるようになった。大学生になった陽子は、恋人の誠二にもうすぐ死ぬと予言する。ある日バイク便の巧が目的の住所を探していると、右半身だけの男性に「すみません」と声を掛けられた。それは壁に体の右半分がめり込んでいる誠二だった。誠二は陽子の予言通り、死んでしまったのだった。

 誠二の件の後、巧はバイク便をやめてファミレスでアルバイトを始める。店内にはいつも自分にしか見えない男性客がいた。先輩の陽子にその男には関わるなと助言をもらうも、巧はオーダーを聞くために男に水を出してしまう。それ以降男にアパートの外のごみ置き場でずっと見張られ、外出もままならない。男が居なくなった隙に外に出るも、知らない女に襲われてしまう。アパートに戻ると巧を襲ってきた女と一緒に、いつの間にか戻ってきた男も巧のことを見張るのだった。

 陽子にもうすぐ死ぬと言われた誠二は、自分の部屋のドアに変なシールがついているのを見つける。剥して捨てようとするとシールは右隣の家に貼り付き、翌日部屋の住人は死んでしまった。誠二が左隣の部屋のドアに貼り付けると、そこの住人も死んでしまう。災いをもたらすシールだったのだ。そしてシールは巧のバイクに貼り付いてしまう。陽子のおかげで外に出られた巧がバイクで走っていると、巧のバイクの後ろにオチョナンさんが貼り付いている。そして巧は事故を起こすと、壁に体の半分がめり込んでしまった。死ぬ予定が誠二から巧の変わったのだ。

 時は流れ誠二と陽子は結婚し、息子大樹をもうけて幸せそうな生活を送っていた。しかし押入れの隅にはオチョナンさんがいる。ある停電の夜、誠二は殺された父親を見つけた。さらに身体が半分になった巧に襲われてしまう。誠二は包丁を掴むとオチョナンさんを殺すが、電気がつくと陽子の両親を殺害している自分がいた。そして傍らには幼い陽子がおり、陽子以外の家族を惨殺したのは誠二だったのだ。


 2013年日本映画。ホラーコミックの映画化だ。とにかく時系列がバラバラで難解な作品。原作はオムニバス形式らしい。映画では架空の都市、富沼市で様々な怪奇現象が起こり、主人公がそれに巻き込まれるという構成だ。陽子、誠二、巧の3人の話が同時進行になっている。そのせいか場面や時間軸が前後しているので、余計混乱を招いている。普通に「え?なになに?なんで?」って言っている間に映画が終わってしまった。

 とにかく怪奇現象の見た目が、怪物といってもいいくらいグロテスク。まず冒頭のアスファルトをうねうね這っている目玉。それを踏み潰す車と鹿野一家には、いかにも何か起こるだろうなと思わせてきて不穏すぎる。そのあとも出てくる目玉はキモいし、オチョナンさんは言わずもがなキモい。ほかにも藁を集めて作った仮面のような物を被った?女性や巧をストーキングする男が出てくるが、彼らの見た目がもうとにかく異様だ。あと曰く付きのティーポットや陽子の予言に災いを呼ぶシールなど、ちょっと面白いアイテムもてんこ盛りだった。

 結局オチョナンさんってなに?って感じなんだけど、オチョナンさんは誠二の父によると、両目と口が約90度縦になっている状態だと守り神らしい。ただ両目が少し斜めになったオチョナンさんは、悪いオチョナンさんと言って災いを持ってくる。悪いオチョナンさんの顔は、映画で出て来たシールとそっくりだし、シールを貼られたらオチョナンさんに祟り殺されてしまうのかな?ていうか守り神なんだね。こんなにキモくて怖いのに🥺 それは関係ないか。

ようこそ、デュード。これであなたは町の住人です。

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 借金取りに追われて袋叩きにされていた蒼山は、ひげをたくわえて黄色いツナギを着た男に助けられる。男はポールと名乗り、蒼山をデュードと呼んだ。そして居場所を用意してやると言われ、蒼山はフェンスに囲まれた大きな建物に連れていかれる。そこは衣服も食事も住居も保証され、自由にセックスができるが妊娠は禁止という不思議な町だった。町へ入ると首に何かを打ち込まれ、友愛の印としてのパーカーと部屋の鍵が支給された。蒼山はハッテン場となっているプールで末永緑と出会い、彼女からこの町の色々なルールを教わることになる。蒼山も次第に町での生活にも順応し、日々を謳歌するようになっていった。しかし出入りするのは自由なのにも関わらず、なぜかそこから離れられないことに気づく。

 ある朝紅子はテロのニュースで行方不明の妹、末永緑を見つける。しかし緑が収容されているはずの病院は、紅子を素気無く追い返した。紅子は病院関係者と会話していた黒いスーツの男を尾行し話かけると、男から「自分を見失うことになるがいいか」と黄色い紙を渡される。そこには町へのバス乗り場が記されていた。その夜バス乗り場で書類にサインして、町で緑と再会する。しかし緑は娘のももへの関心はなく、また緑は居心地のいい町から出ることを拒んだ。見かねた蒼山が紅子をもものいる子供ルームに連れて行くが、紅子はももの将来を案じるのだった。

 紅子は町での生活を「何も感じない」と評して野外作業中に逃げ出そうとするが、蒼山はそれを制止し彼女に「好きです、愛してます」と告白した。その夜「ももを連れてここを出よう」と紅子を説得する。そして計画通りに蒼山がチューターから黒い機械を盗み、紅子はももを連れ出すと、できるだけ遠くに逃げようとフェンスを越えて歩き出した。しかし機械の電池が切れ、首に埋め込まれたもののせいで頭に音楽とノイズが鳴り始める。そこへ女性のチューターが現れて信号を止めると、3人を車に乗せ「あなたたちは別に抵抗もしなかったから、帰って今まで通りに人数としてやって」と話しかけた。その瞬間「人数」という言葉を聞いた蒼山がチューターを殴り倒し、車を奪い逃走を始める。その足で紅子のアパートに戻るが、そこには見知らぬ人が住んでおり、また役場で紅子の戸籍を照会しても戸籍がない。お金もなく、装置から離れると音楽とノイズが流れる。そんな中、紅子の妊娠が発覚した。説明を聞いて病室から出てきた蒼山に、ポールが「戸籍がなかったら何も出来ないでしょう」と話しかける。またポールがバスの紙を渡し「場所は違うがルールは同じです」と町へ戻るよう誘導するも、蒼山は「僕は行かない、家族がいるんだ、自分たちの力で生きていく」と言い放つ。

 朝。綺麗な部屋で、お腹の大きくなった紅子とももの三人で川の字で寝ていた蒼山。目が覚めこっそりとベットを抜け出すと、ネクタイを締め出社していった。部屋にはあの黒い機械が2台置かれている。そしてチューターになった蒼山は、新入りの青年に「お前はもう自由だ」と話すのだった。

 


 2019年公開。中村倫也主演の謎の町を描いたミステリー作品、人数の町。目の付け所は秀逸だし、タイトルもかなり惹かれるものだ。また構成もわかりやすくて、ゾワゾワする前半とモヤモヤする後半の2パート。前半はバイブルを読まない主人公と、謎の町の説明だ。指示された通りの簡単な労働――ネット掲示板への書き込みや、別人になりすましての選挙投票――を行ってさえいれば衣食住の保証はされる。また好きなだけセックスを楽しむこともできるという退廃的な日常。時々ちらつく住民の過去。後半は妹を探す姉が町に溶け込んだ妹を放ってその娘と主人公とで町を命がけで脱走し、最後は組織に取り込まれて人数になるという話だ。こういう物語は結末が大抵二択で、主人公達がシステムを破壊するかシステムに呑み込まれるかだけれど、これは後者だった。逃げた意味はあまりなかったかもしれないな。いや、住むところと家族を得ているので、それだけの価値はあったのか。とにかくいろんな経緯がはしょられていてモヤモヤした。

 この町は主人公のような人間や、生きるのに疲れた人には至れり尽くせりかもしれない。義務さえこなしてれば衣食住に性欲まで保証されるのだ。映画を見ながら、もしかして理想郷なのでは?羨ましいな?と一瞬私も思った。冷静になってよく考えてみると親兄弟、友人にも会えず、施設内で家族も恋人も作れないと言われると、そこまで嬉しくはないかもしれない。子供と一緒に入所しても一緒に生活はできないし、戸籍もないので自由に外に出ることはできない。それを象徴するように、作中では誰も名乗らない。唯一紅子だけが緑を名前で呼んでいる。紅子の存在はとても異質だった。それによって蒼山はこの町の正体と直面することになるのだけれど。

 そういえば脱走して女性のチューターに捕まったときに「人数としてやってくれればいい」と言われて、主人公がチューターを殴ったシーン、私実はよくわからなくって、主人公が最後チューターとして出てきた時にやっと理解した。あ、これ人数になっているなって。その時にとてつもなくぞわっとした。あれって誰かから奪って勝ち得た役職なんじゃなかろうかとか、反乱分子すぎるのでチューターになるのと引き換えに家と家族を得たのかとか。何もわからないが、結局最後は人数になってるなとか。究極まで突き詰めるとなんだか現代社会も現代人もこれに近いものがあるなとか。一瞬で脳内にいろんなものがぐるぐると駆け巡ってしまった。

 映画全体としては一定のリズムや空気感が映画の終盤まで続いていくので、全体的に雰囲気はよい。面白い設定だとも思う。しかしなぜ町があるのか。どういう町なのか。別で保育されている子供たちはどうなるのかなど、全くわからない。謎だらけだったためか映画の核心がつかみにくい。この町があることで、誰が得をするのか。この町は誰が何のために作ったのか。その辺りが明確に出ていれば、もっと違った印象になるのだろうと思う。全体的に後は推察してねと、受け手の解釈に大いに頼りすぎている気もした。