恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

尾形百之助を考える①

 金カムを読んだ。私は気づいたら尾形に狂っていて、時々尾形百之助のことを考えている。これはいつだかの雲雀恭弥以来の愛と衝撃かもしれないと思う。多分初めて、寿命以外で死ぬタイプの推しができたというのもあるかもしれない。今回は金カムがどうのというより、尾形百之助君への愛を存分に綴ろうと思う。

 タイトルにもあるように、「尾形百之助」についてとにかく考えていく。まずは尾形の名前から。尾形百之助の、人生最初の祝福について考えていきたい。私的に名前は人生の始まりと思っている人間なので。

 百之助の「百」は数がとても多いことを表す際に用いられるため、様々な願いを込めることができる名前になる。また百之助の「之助」はもとは大宝律令に定められた、位の上下に由来する官職の名前だ。当時これらは階級を表していたけど、後に人名に用いられるようになった歴史がある。もとは官職の名前だからか、人名に用いられるようになってからは家の後継者、それこそ長男に付けることが多かったらしい。そういった背景もあってか、日本人の名前は意外と官職に由来するものが多い。尾形の生きた時代には、すでに人名に用いるのがポピュラーになっていたのではないだろうか

 ちなみに大宝律令には「かみ」「すけ」「じょう」「さかん」と4つの官職名がある。現代日本で名前として最も残っているのは「すけ」かもしれない。当時は役職ごとにそれぞれ官職があったため、例えば京職では左京之介、右京之介とか神官職でいうと大輔、少輔、という風に「輔」「介」「助」「丞」「亮」と漢字もたくさんあるのだ。

 ここで気づいたことがあるけれど、鯉登家の「平之丞」「音之進」もきっと由来は同じだろう。幸次郎と鯉登平二は同郷で、また互いに家柄、階級もある。それゆえに2人とも官職由来の名を付けていると考えると、「平之丞」「百之助」「音之進」は官職の名前だ。「勇作」を並べて見たときに、「勇作」は少し響きや見た目がが異端である。つまり尾形百之助が生まれた当初は、尾形は嫡男の位置づけだったのではないか。しかしもし「百之助」という名前を母・トメが付けていたとしたら、また違う話なる。それは尾形百之助を嫡男にして欲しいとか、なんかそういう願いが込められていることになるからだ。ただ私は勇作が生まれるまでは幸次郎はトメのところに通っていたことを踏まえると、百之助という名前は幸次郎が付けたのでないかと考えている。幸次郎も正妻・ヒロとの間に当時は子供もいなかったわけだから、百之助を嫡男にという考えも正直あったと思う。己の血を引いた初めての子供で男児が生まれたとなると、幸次郎も素直に嬉しかっただろうし。というかそうであってくれ。お願いだから。

 しかしどうして勇作には官職由来の名前を付けなかったのかは疑問ではある。ヒロさんの希望だろうか。とはいえ勇作という名前も、「勇を作る」で大変軍人然としているけれど。

 明治大正期はお妾さんの存在は批判的になってきた時代で、世間の目を憚りながらも通うのがマナーだった。その割に当時はお妾さんも妻と同じく、夫からすると二親等とされていたようだけれど。これは正妻からしたらたまったものではないなと思う。更に完全に妻妾制度が廃止されるまでは、お妾さんの産んだ子は戸籍上「妾腹○○」と届出する必要があったという。当時でも生まれた子供の認知は必要だったようだ。つまり尾形は戸籍上「妾腹尾形百之助」と届出されていることになる。きちんと認知されていたとしたら、父親はどこからどう見ても正真正銘花沢幸次郎なんだな。とはいえ当時妾腹の子が嫡男になるためには、正式に本家の跡取りである必要がある。それこそ正妻との間に子供ができないとか男児が産まれないとか、または正妻との子供がなにかしらの理由で死亡した場合とか。なのでもし幸次郎が百之助を嫡男として据え置こうとしていたのだとしたら、幸次郎はヒロに相当な仕打ちをしていることになる。妻に石女だと言っているようなものだ。もしそうな意図がなくとも、ヒロに対してお飾りの妻であると突き付けていることになるのではないか。もし百之助を本当に花沢家の嫡男になっていたとしたら、それはヒロの目にはどう映ったのだろうか。

 けどそうなると不思議なのが、幸次郎の急な方針転換だ。ヒロが勇作を身籠り出産したら、途端にトメのもとに通うのを辞めてしまった。花沢家は軍人家系だ。戦死する可能性があるから、息子はいくらでも欲しいのではないだろうか。また一人でも出世すればそれが一族の繁栄に繋がるわけだから、やっぱり一族は軍人となる息子がいくらでも欲しいのではとも思う。勇作が生まれるまで、ヒロには一族から男児を望む声や圧力があったはずだ。そんな中で生まれた百之助はもうだれが産んだかとか関係なく、吉報であったに違いない。例え幸次郎の懇意にしている芸者であっても。それが勇作が生まれると、途端にトメのもとに通わなくなるのだ。本家の男児が生まれたからというのもあるだろうけど、でももしかしたら幸次郎は人目も憚らずに、トメと百之助のもとに通っていたのかもしれないなと思う。それこそ誰かに提言されていたかもしれない。そんな中でヒロが勇作を身籠ったとしたら。正妻・ヒロが由緒正しく華族の娘だとしたら。ヒロにトメのことを指摘されたら。もしヒロの家柄が幸次郎よりも上位だったら。幸次郎はトメのもとに通うのを辞めざるを得ない理由になったかもしれない。お妾さんとその子供というのは世間からすると暗黙の了解なのだから、それが当然の流れといえるだろう。

 あとTwitterでたまたま見かけて恐怖にかられたのが、幸次郎が百之助と勇作をすり替えたのではないかという説だ。つまり尾形百之助の本名は花沢勇作で、花沢勇作の本名は尾形百之助ということになる。だから幸次郎はトメのもとに通わなくなったとすると、それもすんなり納得できる。しかも鶴見の言う「花沢中将の死後、尾形を祭り上げて」の意味にもはっきりと繋がってくるのだ。鶴見が「花沢中将の父上も軍人」で「百之助は優秀な軍人の血統だ」と言う通り、例え山猫の子と噂されようとも尾形は優秀な軍人と周囲に評価されている。それが本当の花沢中将の息子だったのならどうなるだろう。百之助は正真正銘の軍人家系で、正当な後継者ということになるのだ。顔も百之助の方が幸次郎に似てるし、なんか説得力あるな。ただもしそうだとしたら悲しいなと思う。尾形は勇作を撃ち殺した時、自分自身を殺したことになるから。

 もし本当に百之助と勇作がすり替えられていたとしたら、トメの発狂と悲哀もよくわかる。従来より妾腹を本家に迎え入れるには、子供だけを引き取ることが多かったらしい。なのでトメとしては我が子を奪われた上に、手元にいるのは幸次郎の妻が生んだ男児ということになるのだ。しかも幸次郎似の男児だ。本当の我が子と会いに来ない男を待つだけの日々は大層辛いことだろう。

 もしすり替えたとしたら、それはなぜなのか。正妻がいる限りは、お妾さんはいつまでもお妾さんだ。幸次郎はそれがどんな結果であっても、百之助を嫡男として育てることでトメへの誠意を表したかったのかもしれない。現代に当てはめるとすると、トメに誠意尽くそうとしてヒロにもトメにも酷いことをしている。もしかしたらトメとヒロに愛想をつかされたり、酷いと離婚だとか訴えられたりするのではないだろうか。現代的な感覚は「1人の女性に誠心誠意尽くす」ものだと思うから、本当によかったね幸次郎。そこが明治時代で。

 でも私はきっと勇作は正妻・ヒロの子で、百之助はトメの子だと思う。そうじゃないと辛い。百之助がすり替えられておらず本当にトメの子だとして、ではなぜ幸次郎を永遠に待ち続けてしまったのだろうか。当時のトメはきっととびきり美しく若い。トメには幸次郎を待つ他にもきっと幸せになる方法もあったのに。

 恐らくだけど、きっとトメは複雑な家庭環境だったのではないかと思う。昔はこれ以上子供が出来たら困るときは子にスエ、トメ、マツと終わりの文字を名前に入れて、これ以上の妊娠を避けようと願掛けをしていたのだ。もしかしたらトメはそういう子沢山であまり裕福ではないような、複雑な家庭だったのではないか。芸者ということは、過去に廓に売られたのかもしれない。そうするともとは庶民で今は芸者という身分のトメにとって、幸次郎は確実に好条件の男だ。例え妾でも身請けしてもらって子供でも産めたら、廓で働き詰めの生活よりはよかったのではないだろうか。もし幸次郎がトメにたくさんの未来を約束していたとしたら。それが何1つとて守られることがなかったら。幸次郎に正妻との子供が生まれたことを知ったとしたら。トメが廓にいるより幸次郎といたいと希望を持っていた場合、それは発狂する理由に十分なり得るだろう。

 ねぇ、尾形。どういう思惑があろうとも、生まれた時の尾形は確かに愛されていたんだね。ねぇ。尾形の名前は名前そのものがまず祝福だよ。なのに幸次郎のせいで尾形だけではなくその周辺にまで業が積みあがってしまって、アンバランスで、どうしようもなくなってしまったのかな。だから区切りの「百」の字をもつ百之助が綿々と続く業を断ち切って、最後に山猫の死として昇華されたのだろうか。尾形百之助辛い。好き。

PS
なんとなく尾形と勇作さんの名前をhyakunosukeとyusakuにして、さらにそこから尾形から勇作さんを引いたら出てきたのがhonkeで、つまり本家になりました。もしかしてもしかすると尾形が「花沢勇作」で勇作さんが「尾形百之助」とかっていうすり替えの可能性があるの?怖い。