恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

尾形百之助を考える③

 尾形百之助は全体的にかなり掘り下げられてとても丁寧だったから、作者に愛されているというか、大事にされてるキャラなんだろうなと個人的には思っている。幼少期の回想があんなに何度も何度も何度も、作中の至るところにあったのは尾形だけだった。作中では様々なキャラに過去の掘り下げや回想が用意されていたけど、それでも尾形のは圧倒的な質量がある。他にも多方面からの尾形への評価等、尾形の人物像についての掘り下げのような場面がいくつもある。そういえば、宇佐美と尾形の掛け合いからして、なんだかんだ尾形のことを真に理解していたのは宇佐美だったな。尾形のこと、これっぽっちも愛してはいなかったけどね。

 尾形と宇佐美は同じようで、全く違う。それは243話上等兵たちで特にはっきりしたと思う。まず尾形と宇佐美の会話の内容はまるでかみ合っていない。殺人に対する解釈は一致しているはずなのに、だ。それどころか互いの話を、ただ相槌だけして聞き流している。そのため自分の言いたい事だけを言っており、互いの理論を補強していたような印象すらあった。真に発言の意味を理解はしていないのではないかと思う。それがさらに顕著に表れていたのが、尾形の「両親からの愛情の有る無しで人間に違いなど生まれない」の問いだったかもしれない。「そのとーり」と宇佐美はにこやかに答えたが、ここではっきりと決定的なズレが生じているからだ。親に愛されなくて歪んだ尾形と、親に愛されて育っているにも関わらずに歪んだ宇佐美では性質が大きく異なる。宇佐美は真実サイコパスだ。尾形は本当に悲しいかな、サイコパスになり切れない。よく鍛えられた普通の男だった。

 恐らくだが、尾形としては会話の意味とか意図は特に大事ではない。だからあの会話は己を補強するための材料を得る、または自信を得るのが目的があったのではないかと思う。だから宇佐美が相槌だけ打って聞き流していてもよかった。だって尾形は誰かに肯定してもらい、己を補強ができればそれでよかった。なぜなら勇作さんの存在に、自己の根幹が揺らぎそうだったから。そのために宇佐美に問いかけている。これは二人が対等だからできたことだろうな。もしかしたらだけど、尾形を理解している対等な誰かであれば、宇佐美でなくともよかったのかもしれない。でも尾形のことを理解しているのも、対等なのも宇佐美しかいない。だから宇佐美に問いかけた。しかし相手が宇佐美だったことで、尾形は永遠に後戻りができなくなってしまったけど。宇佐美はサイコパスなので。

 尾形はたくさんの人を殺しているのに、なぜ他の誰でもなく弟の幻影を見るのだろうか。尾形にとって両親や同じ部隊の戦友、敵を殺すことにはきっとなんの躊躇いも恐れもない。微塵の後悔すらも感じないんだろうと思う。彼らは尾形のことを愛してなかったから、殺しても何とも思わないのかもしれない。だから彼らの幻影は見えない。でも勇作さんは確かに家族として尾形を愛していた。宇佐美と逆で、尾形を理解していたわけではないけど。少なくとも愛されてた実感というのを、勇作さんからは無意識にでも受け取っていたのではないかと思う。だからこそ最後に「勇作だけが俺を愛してくれた」に繋がった。あの最期は尾形を今まで何とか生かしてた、相反する内面外面の建前をどちらも成り立たせる為の自死だったんだろうな。ということは尾形は自分の気持ちに蓋をしているだけで、後悔の念も持ってるし他人に共感もする人間なのだということになる。だから唯一自分を愛していた人間の死だけは乗り越えられず、怨霊とも妄執ともつかない幻影を連れ歩いてしまう羽目になったのだろう。普通にただ敵の弾に当たって戦死したよりも、後悔マシマシだったんだね。殺しちゃったしね。

 尾形と勇作さんを見ていると、勇作さんは兄弟としてほんとに尾形と対等な関係になりたかったのではないかと思う。それは勇作さんが尾形に兄様兄様と纏わりついていた姿に表れている。尾形は軍で山猫の子と噂されていたから、きっと勇作さんが尾形と話す姿は周囲にいい顔をされなかったはずだ。尾形も言っていたように軍の規律を乱す行為なので、もしかしたら誰かに苦言を呈されていたかもしれない。幸次郎から尾形には関わらないよう、言いつけられていた可能性だってある。それでもかまわずに勇作さんは尾形に声を掛け、なんなら壁に押し付けている。尾形が勇作さんを遊郭に連れて行ったときは「兄様から誘っていただけるなんて」と喜んでいたことから、きっと頻繁に尾形を誘い共に過ごす時間を取っているはず。勇作さんはをちゃんと個としての「尾形百之助」を見ていたのではないだろうか。偶像たれと望まれた男の望みが、腹違いの兄と対等になりたいとは可愛いな。対する尾形は勇作さんが「花沢少尉」「勇作殿」として視界に映っている。尾形は真正面から勇作さんの愛が受け取れていなかったので、無意識下で個としての「花沢勇作」と認識していたのかもしれないけど。だとしたら相当拗れている。

 それでいくと宇佐美はちょっと潔くて、異母兄弟と比べるとすごいなと改めて思う。智晴くんにとっての宇佐美は勇作さんにとっての尾形と同じで、個としての「宇佐美時重」という認識だった。でも宇佐美の視界に映っていた智晴くんは、多分本当にただの「偉い人の息子」で、対等とか愛とかそういうのはどうでもいい。それよりも鶴見さんに褒められていたのが腹立たしい、それだけ。それで殺してしまったけど後悔もないし、なんかもうほんとに潔すぎる。もし尾形が宇佐美に勇作さんを殺したって一言でも言っていれば、多分だけど「なんかわかる~てか結局勇作殿殺しちゃったんだ~ウケる~」とでも言いそう。なんか簡単に想像できた。怖い。宇佐美は怖いやつだ。

 人と対等で居続けるって頑張っても為せることじゃないから、尾形も勇作さんも、もちろん智晴くんも宇佐美もみんなちょっとずつだけど、微妙に拗れてて辛い。それ故か、尾形と宇佐美は対等な関係に収まっているのも面白い。別に対等になりたいとか思っていないだろうに。というかお互い「こいつと対等とかどういうこと?」くらいのことは思っていそう。二人とも育ってきた状況や持ち合わせてる劣情が似ているから、図らずも対等になってしまったのだろうか。

 尾形は家族との関係や他人との関わり方、関係性の構築がずいぶんと希薄だと思う。相手に踏み込まないし踏み込ませない。しかも自己完結型の人間。そんな尾形にとって、宇佐美は唯一対等な理解者だったはず。もしかしたら人生で唯一、友人というポジションに収まっていたと言えるかもしれない。清い友とか学友とかではなく、完全に悪友だけど。でもそうなると誰よりも宇佐美が、一番濃い時間を過ごしていた人物かもしれない。なぜそんな宇佐美を、尾形は撃ったのだろう。あの狙撃は尾形の人生で、最も関わりの深かった友を殺したことになるのに。しかも左撃ちの、それも難しい射角から。いくら軍人でも親や親友を殺すとなるときっと動揺すると思うけど、尾形はそれを冷静に完遂した。一切の躊躇もブレもなく撃ち抜いたことで、完遂できるという結論にあの瞬間に至ったともいえるのか。元々素質はあったかもしれない。もしかしたら、それを確信するために宇佐美を撃つ必要があった可能性すらある。だからこそ「お前の死が狙撃手としての俺を完成させた」に繋がるし、尾形にとっては宇佐美の死がとても重要なことだったのだろうな。

 尾形と宇佐美の掛け合いとかじゃれあいを、私は永遠に見ていたかった。おっちょこちょいだし宇佐美に騙されがちな印象あるし、しかも騙されたのにすぐ気づいて怒るとかじゃなくて、しばらく待ってる尾形がめちゃくちゃ良すぎる。カチカチのご飯ができて、でもそれを誰に言うでもなく黙々とつつくのもかわいい。おちょくられてる尾形のエピソードとか無限に知りたい。てか同僚や上司からはそういういじられ方してたのかな。部下にはあんな高圧的なのに。あと勇作さんに規律が乱れますとか言ってるし、なんか兵舎の規律真面目にしっかり守ってそう。そしてその規律を破って近づいてくる勇作さんと、近すぎる勇作から少しでも距離を置きたい様子の尾形百之助ってかわいい。父に愛された異母弟はどんな高潔な人物かと想像していたら、汚い台詞を叫び局部を振り回す男で笑顔がこぼれた尾形百之助も可愛い。でもこれを公式から提供されている現実を改めて考えると、なんかとにかくクレイジーだなって。え?神の子とは?