恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

「ただいま」と言って「おかえり」と返ってくる温かさ

私は本当の父親の顔を知らない。私の本当の父と母は、私が幼いころに離婚している。私の家庭は10年以上、母子家庭だった。
母は再婚するまで私たち姉弟を、父のように母のように、厳しく優しく一生懸命に育ててくれていたと思う。そして愛情はめいっぱいもらっていたはずだし、それはわかる。でも私はいつも何かが足りないと泣く子供だった。愛情を注がれた自覚があるのにも関わらず、だ。
でも私はこれとまた別で母を異常に怖がっている。理由はとても簡単で、私の母は私のとって神様だからだ。厳密にいえば神とは少し違うが、とにかく唯一の人なのだ。

私の家族像は、長らく父親という存在がいなかったために父親は不要であったし、私の世界は母とペットと弟だけで完結していた。
父の日なんてものは存在せず、父の日に「お母さんありがとう」だなんて書いた手紙を渡していた。
小さなころは先生がちょっと気まずそうに「お母さんあてにお手紙書こうか」と声をかけてきていたが、私はそのたびになんとも言えない気持ちとなった。泣きたいような、惨めなような、私だけ父親がいないんだという漠然とした不安。そういうものでぐちゃぐちゃになりながら大好きな母に「おおきくなったらままとけっこんしたい」と覚えたてのひらがなで書いていたように思う。

母はそんな私と周囲のことをわかっていたのだろう。基本的に授業参観や運動会、日曜参観、そのどれもを完璧にこなそうとしてくれていた。
運動会なんて凄まじくて、親子リレー・父親リレー・母親リレー・PTAの出し物、そのすべてに参加した。母親リレーでムカデ競争の先頭に決まったときなんかは死んだような顔をしていたけど、でも当日は必死になって走り切っていた。めちゃくちゃ息切れしててすごい面白くて、走ってるのを見て応援よりも弟と笑い転げていたのはここだけの秘密だ。もちろん応援席で子供たちの応援も忘れない。というか保護者応援席の中で一番うるさくて目立っていた。恥ずかしいことこの上なかったし、弟も私も応援してる姿を見て力が抜けそうになるからやめてほしいとずっと思っていた。安心するのではなくて、応援に必死な姿が面白くて思わず笑ってしまうのだ。
弟の体調不良で行けなかった時もあって、そういう時は私も子供で、めちゃくちゃに拗ねるので大変だったと思う。

再婚してからも母の子育ては変わらず全力だったし、父親もその親ばか育児に加わった。
弟と私の参観日とその時間が被った年は父と母が別々で学校に来た。弟は母で私が父。高校生の私は恥ずかしかった。というか参観日のお知らせは渡してなかったのに来た。怖い。こんな調子で私は大学まで学業を修めた。ありがとうございます。おかげさまで卒業しました。
だから再婚しても私の家庭は機能不全ではないだろうと思っている。それなりに仲良く楽しい家族だ。他人が見ても羨ましがるような、絵にかいた幸せが詰まっている。
ただ私が家族に勝手に息苦しさを抱いて家族を恐れて、ただ一人で勝手に機能不全に陥っているのだ。とにかく私にとっては息苦しくぎすぎすとしていて、幼少期にもらうはずだったたくさんの大切なものを落として拾えなくてどうしようもなくて泣いている。
家族は私を「大人だから」「お姉ちゃんだから」「しっかり者だから」と封じてしまって、駄々をこねられず、内側で寂しい子供が泣き続けている。愛し愛されて育ったのに、とても悲しくて寂しい。
だからこの先どう考えてもまっとうに幸せな結婚ができるとは思っていなかったりしている。それは母が私にかけた魔法のような呪いのせいでもある。

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大抵の人間にとっての親子関係というのは少なくとも、最低限お互いを尊重しあえるものであることを前提としていると思う。特別仲がよかろうと悪かろうと、だ。
だから物心つく前に親を軽蔑してしまうような出来事があった子供や、親に呪いをかけられた子供はレアケースという扱いとなる。
この世の中、そんなにそれが珍しいのか、とも思うけれど。少なくとも、教職課程で児童心理やらなんやら学んだ身としてはそこまでのレアケースとも思えない。
それなのになぜレアケースとして扱われるのか。それは「子供を愛していない親などいない」という思い込みのような何かがあるからだ。固定観念ともいう。
きっとお育ちがいいのね、最近はそう思ってスルー出来るようになってきたが、私はこの考え方にいつも大いに傷ついてしまう。
それはなぜなのか。答えは簡単だ。
私は生まれた家は悪くないけれど、とにかく育ちが悪い。この一言に尽きる。
だから私は両親に「こっちにはいつ帰ってくるの?」と訊かれるのが苦手だ。だって、私にとって実家は行くものであって、行かなきゃならない用事があるということなのだ。
それはいつだって、私の淀んだ何かを浮かび上がらせる。家族も実家も、嫌いじゃないのに。特別仲が悪いわけでもないのに、堂々と家に帰るといえないのだ。
実家に帰るかどうかの会話なんて、傍目にはただの日常だ。それ自体に良い悪いはなくて、ただ純粋に「帰る」と言えることが良いなとは思う。
私はまともな境遇で育っていて、それなりにまともな人間なのに。実家は私に、人間関係の持続不可能性についてを突きつけてくる。
誰も彼もはっぴーな家庭で生まれ育ったわけではない。

私にとって健全な家族像を疑うことなく生活してきた人は、無自覚に暴力をふるってくる危険な存在だ。しかし自分がそうありたいと願った理想の姿でもある。ひたすら眩しい存在とも言える。
「親に愛されて生きてきた」とか「親は子供を愛するもの」とか「子供を愛していない親はいない」に表れている愛し愛されて生きてきた人の、当たり前にある自信。揺るぎなく強い。羨ましすぎる。
でもだからこそ、彼らは100%善意です!と言わんばかりに押しつけて来るのだ。いっそ無邪気とも言える。
「ちょっと不器用なだけ」
「再婚とはいえ育ててもらってるんだから、父親には特に感謝したほうがいい」
「お互い歩み寄りが必要だよ」
これらは私が実際に言われてきた言葉だ。まるでナイフのように言葉が刺さって、当時は泣くかと思った。
これらを当たり前のことだと言われたら、私はどうしたらいいのか分からなくなる。だってこれらの言葉はナイフのように心を切り刻み、そして私を縛る呪いだ。
私の父親は血の繋がっていない、本当の本当に他人だ。遺伝子レベルでも合致0%である。戸籍上は家族なので父親と呼んでいるが、正直あまり実感はないし、私の親は母親だけで、父親は距離が掴めないというか、距離感を測りかねているというか。そう言いながら、もう10年程を父親と呼んで過ごしている。
実家に住んでいた時は父親は同居人という感覚で、一時期は父親面すんなとか思っていた。やばい。反抗期やばい。最近は柔らかく、義父とか継父という表現を使っている。呼ぶ時はおとうさん、だけれど。
でもこんなことを思っているので、父親にはうまく愛情を返せずにいる。善意100%でナイフを突き刺す彼らからしたら、私は人でなしだ。
実際にこの10年で何度かナイフで心をずたずたに刺されてきて、親を愛せないなんて人でなしだと言われた。
というか、人間誰しも苦手な人とかそりの合わない人とか居るはずだ。それがたまたま私は私の父親だっただけ。
とにかく本当に、なぜか親が無理なのだ。
でも「親は子供を愛するもの」というこの言葉に救われる人もいるのは事実ではあるのだろう。
ただ少なくとも私は救われない。その言葉たちで救われる人にだけ言ってやってくれ。

あと少し前にこういうこと言われて、心から血が出た。だからこんな記事を書いているのかもしれないけれど。
「子供を愛していない親なんていないよ。きっといつかわかりあえるよ」
「自分が若いからそう思うだけ」
「いつか感謝する時が来る」
「子供を産んだら分かるよ」
両親が離婚したことも再婚したことも無いくせに。偉そうに言うなよ。
確かに、成人してから、結婚してから、子供産んでから、親との関係修復が出来ました。今では仲良しです。確かにこう言う人いるよ?いる。よく聞く話だもんね。
でも私がそうなるとは限らない。現に成人して、結婚を前提にお付き合いしている人がいるけど、関係修復なんて出来ていないのだから。
愛されて育ったあなた達には善意かもしれないが、どこか欠陥品である私にはこれは暴力なのだ。

少し話は変わるが、私たちは今から約10年ほど前に家族になった。
父は初婚で、それなのに当時反抗期真っ盛りの中学生と小学生の弟という大きな子供がいきなり2人。もちろん子育てだって初めてだ。
チグハグなまま、みんなで寄り集まって、チグハグなまま、手探りでみんなで家族になった。
そんな手探り状態の中で、私は父親に頭がおかしい人間と言われたことがある。当時はたいそう傷ついてめちゃくちゃに反抗した。
これは今でも私の心につっかえている。言われて傷ついたことにも、めちゃくちゃ反抗して酷いことを言ったことも。心の傷になってしまった。
けれど、父親の私への愛は実在している。それも分かっているのに、それでも娘に頭おかしい人間だというこれは、手探り状態の中で、どうにも出来なくて歪んでしまった愛の形だ。
私は多分こういうとても小さな所から、親への不信感があるんだろうなと思っている。だからこれでどう愛情を返せというのだろうか。私には何も返せない。
貰えたとも感じられない愛情を、どう信頼して受け入れろというのか。
ぶっちゃけたことを言うと、愛せないことを許して欲しい。
納得は出来ないかもしれないが、認めて欲しい。

あと私は母親のことは愛してはいるがとても怖い。それは私がマザコンであり、母親に依存している人間だからだ。
神様とまではいかないが、絶対で唯一である。
だから、私がなにかして見放されたくないという依存心が大いに私を縛り、母に言われた言葉で一喜一憂し、呪いを何重にも重たくさせる。

この呪いは続いていく。いつまでもどこまでも、呪いが解けるまでは、永遠にどうしようもない。
鏡に映る自分の顔に面影がちらついて嫌になるし鏡だって割りたくなる。大人だからしないけど。
ふとした自分の言葉遣いに共通点を見出して泣きたくなる日もある。
なんだかんだどうしてもどうしてもどうしても、連絡をとる必要が出てくることも。
もうこの感情はどうにか誤魔化してやっていくしかないのだろう。
けれど意外と仕事や友達や趣味なんかがあったり、新しいことを始めたりすると、確実にスッキリする。
しかも私は今なんとか実家から抜け出して、見事楽しい一人暮らしだ。
昨日セキセイインコの雛鳥も家にお迎えした。かわいい。

そして今は、自分だけの、温かさ。呪いもくそもなにもない、ぬるま湯のようなそれ。「ただいま」と言って「おかえり」と返ってくる温かさに憧れている。