恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

私とTwitter

この間よく知らない、私の呟きにひたすらひたすら反論や否定ばかりする人に出会った。
仮にその方をAさんとしよう。
Aさんからは高圧的な引用リツイートでの通知が何通も届き、返さずにいると何度も何度も執拗に、返事をしろと半命令された。そしてAさんへリプライを返すと引用リツイートまでされて高圧的な物言いをされ、人格ごと全否定。正直げんなりした。
そしてリプライを返しているにも関わらず、Aさんが反応したものとは全く違う180度真逆の呟きや、空リプにすら引用リツイートで取り沙汰された。

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お相手の方はミュートしてしまったのですが…リプライが残ってました。

そもそも発端となった呟きは私のフォロワー達への空リプ。1人のフォロワーがどう思う?と問いかけており、私のフォロワー達がわいわいやいやい議論をしていた。
そこに私も混ざっただけなのである。なので特定の誰かへのリプライでもなく、みんなへのリプライとして空リプをしていた。
そして話題が別のものへと移り、そのまま空リプでわいのわいのと会話をしていたのだが、それにすら反応され、最後は「クズだ」「返信しない」「人間失格だ」「今まで生きてきたのが奇跡」「こいつ」「お前」呼ばわりで失礼極まりなかった。
もううるさすぎて仕方なくて、Aさんをミュートにした。ブロックしなかったのは、私の良心がなんとなく傷んだからだ。
それで思ったのだ。私の好きだった、私が私のために居心地よく作ったタイムラインはもうないのかもしれないな、ということだった。
私の呟きに対してフォロワーが反応してくれて、趣味の合う人や話の合う人同士が友達となり、その友達と話しているうちに友達の友達が話に加わり、友達が増えていく。Twitterは、私のタイムラインはそういう空間だった。でもきっと、その心地よい空間はもうない。
そう言うときっと今なら「嫌ならTwitterやめろ」と言う人間が出てくるだろう。
でも私はTwitterが好きだ。そしてこれは愚痴。

私がTwitterを始めた頃は大学生だった。その頃のTwitterは楽しく会話をする所だった。
タイムラインはリアルで会う友人やTwitterのフォロワー達と、バイトの愚痴や授業のこと、課題について、そして小説の話や映画や音楽の話をする場所だった。
この小説が好きだと言うと「じゃあこれ読んでみてよ」とオススメされたり、この作品は良かったなぁなんて感想を述べると「でもこの作品はこんな批判や見方もあるんだ」と話が膨らんでいく。
LINEよりもTwitterって感じで、1日中ずーっとTwitterを見ている日、なんてのもあった。
確かTwitterをはじめて1年が経つ頃には、2万tweetは超えていたと思う。
でも今は違う。そしてあの頃のフォロワー達はだいぶ減ってしまった。Twitterから永遠に消え、LINEやSkypeすら聞いていない今の状況を鑑みると、二度と再会は出来ないだろう。
居なくなったフォロワー達の何割かは、ネットストーカーや毎回批判リプライをする人がいて疲れてしまった、Twitterには批判だらけだ、そう言って消えていった。
でもその気持ちもよく分かる。

今のTwitterは、楽しい会話をしていると全然知らない、見たこともない人から突然罵倒される空間だ。
Twitterはそういうものだし、それが嫌なら鍵をかけたらいい」なんて言う人もいるだろう。
でも私はそういう、鍵の付いたアカウントも持っているのだ。利用頻度は低くても、誰にも知られずにひっそりと存在している。
だから私は大好きな人達と出会えたタイムラインで、変わらず日常の愚痴や仕事のこと、小説の話や映画や音楽の話をしたいのだ。
そう考えると鍵をかけるのは少し違う。私のやりたいことではない。

Twitterは好きに呟いていいけれど、好きにしていいからと言って、誰かを傷つけていい場所でもない。
でもみんながみんな、誰かを傷つけるために呟いている訳でもない。
だからtweet内容に不快感を覚えたら、ブロックやミュートをすればいい。Twitterにはその機能がある。
Twitter上にはどれだけ罵倒され暴言を吐かれても、文脈や文章から真意を読み取れない人からのトンチンカン発言にも目を瞑り、そっとミュートやブロックをして平気な顔をしている人がたくさんいる。
私もそうなりたかったし、なろうとした。でもダメだ。イライラする。もやもやする。

公開しているアカウントで誰かと楽しい会話をしていると全然知らない、見たこともない人から突然罵倒される空間、Twitterをそういう場所だと言うのなら、それを罵倒と感じるのなら、私は大変に自意識過剰でTwitterには向いていないのかもしれない。
でも、私は少し思うのだ。
例えば誰かが絵を描いてTwitterで可愛くかけた!とかなんとか呟いたとして、それを「下手くそだわ〜」なんて言って笑ったのを描いた本人に注意されたら「お前に言ってない」とか言っちゃうの?え?それちなみに日常生活でも同じことする?会社とか。しなくない?え?してるの?それめっちゃやばくない?人としてもなんとしてもやばい。
でもこういうことを言ってくるアカウントは大抵一度も見たことのないアカウントたち。
これは今に始まったことじゃない。私にとってTwitterは少し前から疲れる場所となってきている。

Twitterは今ではある意味で公共の場所だ。公園と一緒。公園は老若男女どんな人でも利用可能となっている。
それと同じで、年齢制限はあるが、Twitterも老若男女どんな人でも利用可能となっている。
そのために、なにかを公表、発言するためのハードルも低い。
複数の情報を整理し、筋道立てて長文を構成できない人に公共空間の言葉を与えたのは、もしかしたら文明として痛手を負っているのではないかとすら思う。
tweetするということは公共に向かって何かを主張することへの情熱と、主張についての責任が発生することへの覚悟が必要になってくるが、誰もtweetに対して情熱も覚悟もない。
こんなことを嘆いている私はきっと、今のTwitter向きではない。
そしてあの時に私が構築した居心地のいい空間はもう消え去った。楽しく議論や会話を楽しむことは出来なくなりつつある。

最後に言いたいのは私を罵倒するあなたは私の何を知って言っているの?
私の好きな物、好きな曲、好きな小説、私の生い立ちをなにも分からないのに言ってるの?
批判したいだけの坊やはままのおっぱいでも吸って駄々こねてろよ!