さよなら平成、おはよう令和。
この記事を書くのは今更感があるが、お祭り騒ぎも収まった今、
本当に今更「令和」という元号について少し真面目に考えてみたのだ。
令和になる瞬間、何してた?私は知り合いが経営しているバーの中で宙に浮いていた。
なんだか間抜けだな、もう少し具体的に言うとジャンプしていた。
もうほんとに、一人だけ宙に浮いていた。浮かれすぎである。新年か。
別れ際に「よいお年を」、明けたら「新年おめでとう」
各テレビが煽るからそういう気持ちになるのだろう。
でもやっぱり生前退位は素敵なものだったと思う。
「よい平成を」「令和で会おう」いい空気だと思う。
だってものすごく平和なのだ。
私は昭和から平成へ変わる瞬間には立ち合えていないが、
バーに居合わせていた親世代の方々からいろんな話を聞いた。
ああだったこうだった、いやいやこうだった。
お酒が入っていて、みんな陽気に当時のことを振り返っていた。
それを聞いて私は昭和から平成へ混乱と激動、波に呑まれた時間だったのだなという印象を抱いた。
でも想像つかないよね。改元に人の死がセットだったなんて。
だって私今、宙に浮いていたもの。平成の時と正反対よ、きっと。
でもやっぱりそれを一番そばで見てきたのはきっと上皇と上皇后で、
だからこそ注意深く発言し、政府に特例として認めていただいたうえで生前退位した。
改元が人の死とセットではない、と。
そしてお祝いムードのまま令和を迎えることができた。
全然実感がわかないけれど、変わった瞬間の0時に何かが起こったわけではないけれど。
でもこの「実感がない」は上皇、上皇后が国民に寄り添い、
配慮のお気持ちの表れで、上皇と上皇后のこれまでの努力の賜物なんだろうなと感じた。
お二人の判断は正しかったのだと思う。
そう言えば、平成最後の日と新元号の令和の初日は雨が降っていて、
いやだと感じた人もいるだろうけれど、政と雨は結構親密な関係にあるらしい。
昔から重要な約束や仕事をする時に雨が降ると
「雨によって天と地がつながった目出度いことを表す象徴であり、
約束が果たされたことを天が祝福してくれる、という幸先の良い日である」
という考えがあるらしくて、つまりこの雨は幸先の良い雨だったらしい。
改元によって区切られた時代はどういう時代になるのだろうか。
きれいに切り替わった時代が、美しく豊かであるように。幸福であるように。
天津祝詞と大祓詞を奏上し、上皇と上皇后への感謝とこれからの平穏をお祈りします。
お二人が心穏やかに楽しく過ごされますように。