恭弥さんの日記

徒然なるままに好きなことを綴っていく

夢追い人と夢を探す私。

最近「夢はあるか」と聞かれた。
夢というほどでもないけれど、と前置きして今やりたいことを話してみた。
具体的なプランはまだ分からない。
けど、今困っている子供たちに手を差し伸べられるように、なにかしたい。
家にも学校にもどこにも居場所のない子供たちが減るように、できることはないのか。
そう伝えて、こうしたらいいのかああしたらいいのか迷いながらなんとか生きている。
そうして思ったのは、夢を追う人はきらきらとしているんだな、ということだ。
私はまだ夢でもなく、ただ漠然とこうなりたい、こうしたいという感覚で生きている。
だから余計にきらきらして眩しく見えるのかもしれない。
でも夢があってそれを追ってきらきらしている人も、将来が決まる程の熱意を孕んだ夢、というのは生まれながら持っているものでは無い。

私が小さな頃の夢は「歌手になりたい」だった。でも音痴すぎてすぐに現実を見ることとなる。本当に歌手はすぐに諦めて、そうしたら夢を見失って迷子になった。恭弥ちゃんのなりたいものはなぁに?と聞かれるのが大変苦痛だった。
これは数年間ピアノを習っても治らず、皮肉にもピアノの腕だけが上がっていった。ボイトレも成果なし。状況は絶望的だったのに、中学生の時に吹奏楽部に入ってクラリネットを吹いたら劇的に治った。それも1年も掛からずに。拍子抜けだ。
ちなみにその頃の夢は「物語を書く人」だ。やっと見つけた夢を「作家」としなかったのは、肩書きや地位が欲しかったわけではなくて「文章を書いて物語を作る人」になりたかったから。
だから正直なところ、小説家になれなくても問題なかった。文章が書けさえすれば。子供ながらにそんな格好つけたことを言っていた。
でもやっぱり音痴が治ったとわかった瞬間に思ったことは、あの頃諦めたあの夢を返して欲しくて仕方ないってことだった。だって泣く泣く諦めたのだ。こんなに簡単に治っただなんて。ほんとうに悔しくて悔しくて仕方なかった。
ちなみに私が歌手になりたいと言っていた頃の周りの友達はセーラームーンになりたい、アイドルになりたい、ケーキ屋さん、お花屋さん、お母さん。今だったらAKBみたいな有名なアイドルになりたいとかプリキュアになりたいとかだろうか。
これらは夢と言うよりも憧憬に近いものだったなと、在りし日の自分を振り返ってそう思う。高嶺の花に手を伸ばすような感覚に近いのではないだろうか。さりとて、夢の原型と名前をつけることは可能か。

さて夢というものは、何かのきっかけがあって初めて生まれるのだ。
「こんな人になりたい」
「こんなふうに見られたい」
「こういう風に生きていきたい」
私もこうなりたいと言って手のひらに乗せていた憧憬たち。力もなにもない、そんな小さな憧れを寄せ合わせて大人の真似して、何度も捏ねくり回して不格好な継ぎ接ぎに形成されたものこそが夢なのだと思う。
それをさらに一生懸命に暖めて暖めて大事にして、そうしてほんとうに叶えたかった夢が叶うのだろう。

最近聞いたのだけれど、私が歌手になりたいと言っていた頃に、「ヒーローになって悪者をやっつける」と言っていた友人のみおちゃん(仮称)が警察官になっていた。
彼女はセーラームーンではなく、ヒーローになることを望んでいた女の子だった。とても正義感が強く、意地悪をする男子たちから私たちを守ってくれていた。空手を習っていたから男子に手を出すことはそうそうなかったけれど、勝気で背も高く身体が大きなみおちゃんが一言、やめなさいと言うと男子もちょっと怯んでいたのが懐かしい。
笑顔がチャーミングで可愛らしい1面も持っていたみおちゃん。そんなみおちゃんが警察官として「ヒーローになって悪者をやっつける」という夢を叶えていた。素敵だと思うし、格好いい。これからもその笑顔と勝気な性格で、どんどんと前に進んで行って欲しい。
疲れちゃったら私の肩を借りにおいで。そんな元気もないなら、私が飛行機に乗ってみおちゃんの街まですっ飛んでいく。

夢を追いかけていける人になりたいと思うなら、まず自分と向き合って自分は何に惹かれるのか、憧れを知ることが1歩目かもしれないなと、みおちゃんの話を聞きながら、そんなことを思った。